100歳の祖母がポロっとこぼした、生きた心地がした瞬間とは?

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令和元年文月17日  今日もクルクル通信329号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「あー、生きた心地がした」

この週末100歳の祖母がそう言いました。

 

先日の三連休の中日に実家&祖母の家に帰っていました。

この日は恒例のすき焼きの日。

行列日本一!の焼肉スタミナ苑さんから頂戴したお肉で、すき焼きをする贅沢すぎる日でした。

この日もいつものようにお肉かの旨味を堪能してたのですが、母が祖母に

「ご飯をよそう?」

と聞くと、

「ビール」

と一言。

食卓にいた一同が顔合わせて言葉を失いました!

その答えは想定していなかった!

と。それは100歳の祖母が、ましてや誰もアルコールを飲んでいない食卓で、ビールを主張するなんて想像だにしませんからね笑

すかさず祖母から、

「雅之は飲まないのか?」

横に座っていた従兄弟にも、「飲まないのか?」

と、みんなにリコメンドラッシュが始まりました笑

キンキンに冷えていた、【一番搾りプレミアム】を従兄弟が持ってきて、グラスに注ぎ、祖母が一口飲むと、

「あー、生きた心地がした」

と、ポロっと言いました。

いやー、これほどまでにリアリティのある、生きた心地は聞いたことがありませんでした。

この言葉って、日常の一風景に出たからこそリアリティがあるのではないか?

って思ったのです。

例えば、

南の島で豪遊したとしても、

高級車を乗り回していても、

高級時計や高級ブランドを身につけていたとしても、

その瞬間に、この一言って出ないんじゃないか?

人間、最後は、安心できる家で、家族と美味しいものを食べる。

それに勝る幸せの瞬間ってないのかもしれないよな…

そんなことを考えさせられたのです。

確かに、祖母は食にめちゃくちゃ貪欲ではありますが。お陰様で私もその血を十分に引いております笑

それはさておき、人間、最後は日常生活の中にどれだけ「幸せだな」と思える瞬間があるか?

ってことが豊かさを決めるのではないか。

であるならば、

いかに日常生活の質を上げることができるのか?

自分らしく、毎日を生きるのか?

それが大事なんですよね。

先日も書きましたが、ブックライター上阪さんが仰っていた、

幸せになれない人は自分の幸せが定義できていない人だ

という話が、思い出されました。

祖母は、折に触れて、

「死ぬことが全然怖くない」

と言いますが、それは今までの人生が楽しくて、かつ、毎日がきっと充実しているからなんでしょうね。

実際、「自分の人生は幸せだった」ってよく言っていますし。

起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半。

と、古来より言われている通り、
贅沢な生活なんて長続きもしないわけで、身の丈に合った、豊かな日常が大事なんですよね。

ちなみにビールを飲んだ後、しばらくしてから

「ご飯も少しちょうだい」

と言っていたので、食欲が人生のエンジンであることは間違いなさそうです笑

私は、

80歳までゴルフをして、その後焼肉を食べる

こんな目標を掲げていますが、

これはちょっとぬるすぎるんじゃないか?

なんて、祖母を見て思ったのでした笑

90歳まで上方修正しなきゃいけないかもしれません。

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【今日のうねり】
自分自身の幸せを定義すること

これは、人生を豊かにするうえで、とても大切なことだ。

100歳の祖母が、すき焼き食べて、ビールを飲む。それに生きた心地を感じたといった。

日常の幸せがいかに大切なことなのか?を十二分に物語っていたのだ。

起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半。

身の丈に合った幸せな人生を歩むのだ。