【訳が分からなければ分からないほど、可能性に満ちている】と考えてみる

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令和元年葉月4日  今日もクルクル通信347号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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これって何の意味があるんですか?

この答えが事前にわかったら、

むしろ萎えてしまうのではないか?

昨日、そんなことを書きましたが、改めて考えてみて、やっぱ萎えるんだと思うのです。

だって、事前にゴールが見えているんですから。

仮に答えを聞いてみて、

なにそれ?意味わかんない!

って方がテンションが上がるはずなんです。

少なくとも、その段階での自分の理解を超えているってことですから。

例えば、全然話は変わりますが、初めてのデートの時を考えてみましょう。

あの人ってどんな人なんだろう?こんな人かな?あんな人かな?

なんて事前に想像すると思いますが、

解散する時に、

想像した通りの人だったら、それはそれでテンションは上がります。(特にその事前の期待値が高ければ高いほど…)

でも、それ以上にテンションが上がるorまた会いたくなるのは、

ええ、もう時間が終わっちゃうの?もっと話が聞きたいんだけど!

なになに、全然わかんなかった!

って思わせる、想定を超えた、ある種の訳の分からなさを持っている人なのではないでしょうか。

ましてや、1回会って話しただけで、

もうわかったから。

なんて思われたら、次はないですよね。超さむいって話になりますよね。

前回ブログで書いた、

理解度=受け皿×アンテナ(×システム)

で決まるっていう話で考えてみれば、

わけがわからないってことは、

自分の受け皿(知識などの文脈)がなかったからか?

自分のアンテナと全然違う方向を向いていたからか?

あるいは、その両方

になりますよね。

(※今回は生理的に合わないってのは除外させてください)

話していて「合わないな」って感想を持ったとしたら、アンテナの方向がちょっと違ってたって話です。しかし、

自分の文脈の狭さによって理解できないって場合も多々あると思うんですよね。

逆に文脈がないからこそ、アンテナがキャッチ出来ないってこともあると思うのです。

って考えてみると、

事前に訳が分からないほどいい

ってのは、

今の自分じゃ知り得ない、分かり合えない世界に巡り会える可能性が高い

って言い換えても良いのではないか?そんなことを思ったのです。

振り返ってみると、大先輩同士の話の席に自分だけ、ポツンといさせてもらった時に、

会話の内容がわかんなかった

ってことが多々ありました。

しかも、その理由が、自分の見えてる世界が狭すぎて

ってことがありませんでしたか?

きっと、あったと思うんですよね。

あるいは、トッププレーヤー同士の会話を聞いてもありますよね。例えば、対談を読んでいても、途中で、

これ、なにをいっているんだろ?

って??が点灯することってありますよね。

例えば、ぱっと思いつくところで、スイッチインタビューで、松岡正剛とコムアイ(水曜日のカンパネラ)を見ていた時にありました。

で、こうやって考えてみると、やっぱり、

事前に聞いて訳が分からないなってことの方が可能性に満ち溢れてるんじゃないか?

ってことです。

事前に想定できることなんてたかが知れてる

って思った方が、

自分自身の重心も低くなるし、予期せぬ出会い、僥倖に恵まれる可能性も高まるように思うのです。

ということで、これからも訳が分からないほど、どんどんダイブしていく。前のめりなスタンスで、くるくる行きたいと思います。

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【今日のうねり】
事前に、訳が分からないことの方が、訳が知れていることよりも、圧倒的に可能性に満ちているのだ。
訳が分からない=自分の文脈が狭すぎて、理解できない
って可能性が多分にあるからだ。
例えば、大先輩同士の話を聞いていても、そういうことあったはず。
であるならば、
訳が分からなければ、分からないほど、予期せぬ出会いや僥倖に恵まれる可能性が高い。どんどんダイブしていった方が良いのだ。