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令和元年葉月29日 今日もクルクル通信374号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昔あるところに1人の僧侶がいた。
その僧侶は人生の意味を教えてくれる賢者を探していた。
隣の国に1人の導師が暮らしていると聞き、探しに行った。
何ヶ月も経って、やっとその賢者の家を発見した。
覚悟を決めて、その家に入ってみると、
中にテーブルがあり、お茶の入ったポットとカップが2つ置いてあった。
とても喉が渇いているので、カップにお茶を注いだ。
するとその瞬間に、導師が現れて、お茶の入ったカップを見ると、首を振り、そのまま立ち去った。
そのまま待ち続けたが、結局導師は現れなかった。
翌日、早朝また家を訪ねたが、やっぱり家の中にはテーブルとポットとカップだけがあった。
ポットのお茶をカップに注ぐと、目の前に導師が立っていた。
導師はまた、僧侶を見て、それから、お茶の入ったカップを見ると首を振り、そのまま立ち去った。
同じことが何度も続き、僧侶はついに我慢できなくなって、
「先生、私はあなたから学ぶために遠くから旅してきました。今日はどうか立ち去らないでください。教えてください。
導師はポッドを手に取り、縁までいっぱいにお茶の入った僧侶のカップに、さらにお茶を注ぎ始めた。
お茶がカップから溢れ出し、テーブルの上に、そして床の上に流れ出した。
導師は言った。
「あなたの精神は、このカップと同じだ。縁までいっぱいに中身が入っている、それを空にしなければ新しいものを注ぎ入れることは出来ぬ」
今朝、こんな寓話を読みました。(↑は概略です)
もし新しいことを学びたいのなら、自分を変えたいと思うなら、
まずは今あるものを廃棄しなさい。自分の中に余白を作りなさい。
そうしなければ、決して新しいことは身につかないですよ。
その余白を作るためにはどうしたらよいのか?
まず、自分以外の人のストーリーや考え方、価値観に触れてみることが良いのではないか。
そんなことをメッセージとしている話なのかなと思いました。
人って自分が一番可愛いし、自分が正しいと思いたい生き物だと思います。
ですが、もし、何かうまくいっていないと感じていたり、変化が欲しかったりするのであれば、
1歩外に出てみる。
自分のコンフォートゾーンを
人の話を聞いてみる。
そこで感じたことを素直に受けて入れてみる。
そうすれば、少しずつ、廃棄をする一歩が踏み出せるのではないか。
自分の中に余白を作ることが出来るようになるのではないか。
面倒くさいし、わざわざやりたくないかもしれないけれど、それが大切なのかなと。
書いていたら、なんだか、初期のスマートフォンでよく使っていた、メモリクリーナーを思い出しました。
昔は、重くなると、一日何回でもこのアプリを起動していましたよね?
あんな感じで、余計なものはどんどん閉じる。捨てる。
そうすれば、いつも最適な状態でサクサク動けるようになるかもしれませんね。
ただでさえ、チープなメモリですから、常に軽くしておかないといけないですから。
このブログも、そのクリーナー的な役割をしているような気もしてきました。
人と出会い、話を聞き、本を読み、そこで感じたことを振り返る。
この省察行為は、ある種の廃棄作業ですからね。
ブログ=メモリクリーナー
と言ってよいのかもしれません。
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【今日のうねり】
新しいものをインストールしたければ、今あるものを廃棄しなければならない。
余白がなかったら、新しいものを入れることが出来ないから。
では、どうしたら余白が作れるようになるのか?
自分以外の人の価値観、考え方、ストーリーに触れることなのではないか。
そこで感じることを素直に受け入れるのが良いのではないか。
そこで触れたことを、書き残す、ブログという行為は、スマホのメモリクリーナーと同じ役割と言えるのだ。