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令和元年神無月14日 今日もクルクル通信416号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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トンボの視野は360度あるそうです。
小さな眼が1~3万個ほど集まって、一つの目を構成していることから、複眼とも呼ばれます。
人間は一個の目ですから、個眼というそうです。
ただ、そのトンボが見えている世界なのですが、三次元ではなく二次元。立体ではなく、平面だそうなのです。
それって、例えば、同じバラを見たとしても、同じイチゴを見たとしても、同じカブトムシを見たとしても、
我々とは全く別物に見えている可能性がありますよね。
実際に、トンボの視界で見たことがある訳ではないですけれども。おそらく全くの別物のはず。
ってことは、同じ世界に生きていても、見えているものは全く別ですから、別の世界に生きていると言えるのかもしれません。
でも実は、これって人間同士でもあるんじゃないか?
って、思ったのです。
例えば、同じ経験をしたとしても、
ある人はめちゃめちゃポジティブに捉えることがあって、またある人はめちゃめちゃネガティブに捉えることがあります。
同じ映画を見たって、同じコンサートに行ったとしても、感じることは人それぞれ。
だから、同じ経験でもある意味で全く別の経験ってことになります。
それはきっと、それぞれが生きてきた、個別具体の文脈があるから。
内在的論理があるから。それぞれのフィルターを通してみるから。
なんだと思うのです。
あるいは、
FacebookやTwitterのウォールって人、それぞれ全く違いますよね。
あれって、自分の交友関係や興味関心の延長線上にあるものですが、
ビックリするぐらいそこで接触する情報もまるで異なっていますよね。
例えば、音楽業界に関心があれば、音楽系の情報がたくさん流れてくるはずですし、
広告業界の友人が多ければ、最新の広告やマーケティングの情報がたくさん流れてきます。
といった具合に、同じFacebookやTwitterを利用していても、まるで見ている世界が異なります。
だとすると、
そもそも、自分と他者との前提が違う。考え方や見え方もまるで異なっているんだよ。
違いがあって当たり前。あるから楽しい。
そういう意識を持てるかどうか?で、生きやすさが大幅に変わってくるのだと思うのです。
万人共通のスタンダードなんて存在しない
それくらいの意識で生きていくのが良いのかもしれません。
※念のためですが、多様性があるということを理解しよう。という話であり、それぞれの考え方・見え方が正しいかどうか?というのは別の論点となります。
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【今日のうねり】
トンボが見えている世界と人間が見えている世界が違っているように、
人間同士が見えている世界も異なっている。
それは、各人の文脈・内在的論理が違うから。そのフィルターを通して世界を認知するから。
その違いがあることを前提にできるかどうか?で生きやすさが変わってくるのだ。