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令和元年霜月16日 今日もクルクル通信446号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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詩三百、一言もってこれを蔽う(おおう)。子曰く、思い邪なし
という話があります。
これは、孔子が弟子から
詩経という本には300の言葉が載っていますが、その300の言葉を一言で要約すればどうなりますか?
と聞かれて、
それは邪な思いがない(邪悪な考えがない)
と答えたという話です。
言い換えれば、誠実であることが一番大事だということですね。
あるいは、こんな言葉もあります。
誠は扇の要
人間から誠というものを取ってしまったら、いくら徹しても何も意味がない。人間にとって一番大事なのは、誠である。
という意味です。
扇は要がなかったら、ばらばらになってしまって、使い物になりませんからね。
孔子の時代から比べれば、1000年以上後の話ですが、真木和泉守という幕末の志士が、こんな言葉を残しています。
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節義は例えていわば人の体に骨あるが如し。
骨なければ首も正しく上に在ること得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。
されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。
節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり。
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この言葉は、新渡戸稲造の武士道の中で紹介されていました。
この節義を、誠実さと言い換えても大きな問題はないかと思います。
あるいは、ウォーレン・バフェットは、
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人の採用では3つの条件を大切にする。
第一が人間としての誠実さ、第二が知性、そして第三が行動力だ。
ただし、第一の条件が欠けると、他の2つはその人を滅ぼす凶器と化す。
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とも言っています。
やっぱり、この誠実さが、人として最も大切なこと。土台となることは、普遍の原理原則のようです。
私が、この誠実さを語るほどの特性を持ち合わせてるとは思いませんが、
少なくとも誠実な人は、
気持ちよく挨拶が出来て、
気持ちよくお礼が言えて、
気持ちよく謝罪することができる
と思うのです。
これは、幼い頃から、親をはじめ、色々な人から口酸っぱく言われてきた、基本的なこと。
当たり前のことですよね。
その昔、電通時代に新入社員に、
「社会人で、一番大事なことは何だと思いますか?」
という質問を受けた時に、この3つのことを申し上げました。
あれからかなりの月日が経ちましたが、この気持ちは今を全く変わりません。
いや、むしろ、大企業を出た今だからこそ、この気持ちが増しています。
当たり前のことなんですけど、大切なのです。
少なくとも、これさえできていれば、「あの人は、誠実でない人だ」とは思われないはずです。
和泉守は、
誠実さを骨に例えています。
これがしっかりしていないと、手も足もちゃんと動かない。
才能があっても、学問があっても、世の中で活躍できない
と言っています。
誠実さが、何よりの土台になる。
コンピューターで例えれば、誠実さはOSというところでしょうか。
どんなに優秀なアプリケーションを入れたとしても、OSがバグっていたら、ちゃんとアプリはワークしない。
ウインドウ95じゃ、パワーポイント2010を使うことなんて出来ないですよね。
OSが重すぎたら、
あの「ドゥーン」という音ともに、青い画面が出てきてしまうじゃないですか。
これと同じように、良い仕事をしたいと願うなら、アプリケーションの前に、良質なOSを搭載することが先なのです。
今回で言えば、
誠実でない人は、仮にどんなに優秀なアプリケーションを持っていたとしても、お仕事を一緒にしたい人とは思われないのではないか?
少なくとも、私は、
一緒にお仕事をさせて頂くのであれば、
気持ちよく挨拶してくれる方が良い。
気持ちよくお礼を言ってくれる人が良い。
チョンボをした時は、気持ちよく謝ってくれる方が良い
って思うのです。
・キーボードから文字を入力すると、入力した文字が画面に表示される
・マウス・タッチパッドなどを操作すると、操作した位置がわかる
など、普段私たちが「当たり前だと思う機能」を提供してくれるものって書かれていました。
大切なことは、昔から教わっている、当たり前のこと。
それを大切にしていれば、良いご縁に恵まれ、良い人生を歩めるはずなのです。
だって、これは、古来より変わらない原理原則なわけですから。
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【今日のうねり】
孔子の時代から、今に至るまで人として一番大切なことは、誠実さ。
OSあるいは、骨みたいなものだ。
この誠実さは、我々も子供の時から、口酸っぱく親から言われてきた「当たり前のこと」を実践し続けていれば、
少なくとも、欠けた人と思われることはないだろう。
これさえできれば、良いご縁に恵まれ、良い人生を歩めるのだ。