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令和元年師走28日 今日もクルクル通信488号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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一昨日のブログで、話すことと書くことが要求する、本人の理解度がまるで違う
と書きました。これを読んで下さった方が、
「業務上、込み入った話になればなるほど、メールではなく、電話を選択していた理由が分かった」
そんなことを書いてくださっていました。
これを拝見した時に、身に覚えしかなかったんです。
特に電通時代は、実際に私もやっていたことがありました。
例えば、お客様からのこちらが提案した施策内容に関して、
「こういった場合って、〇〇のケースってどうなるんですか?」
とか
「こういうことって出来ないんですか?」
そんな確認があった時に、そのタイミングでは判断しきれない、分からない場合、
すなわち、曖昧な要素がある時に、メールではなく電話を使っていたことがありました。
でも、そういった曖昧さを残して仕事を進めてしまうと、事故る可能性も高いわけです。
書いてみれば当たり前なのですが。
本来であれば、そういった案件こそメール+打ち合わせ(or電話)
つまり、書くことと話すことをセットで、確認する必要があります。
でも、書くことの方が、話すことよりも圧倒的に知的負荷がかかるために、忙しければ忙しいほど、会話を優先してしまう。
そんなことをしていたことを思い出しました。
で、こういった、安きに流れてはならない時に限って、やっぱり起こるのが事故ですよね。
例えば、言った言わない問題ってやつです。
「えっ、あれできるって言いましたよね?」
「いや、そんなこと言ってませんよ」
「いや、言いましたよ。勘弁してくださいよ、中田さん」
もうこの問答に突入したら基本的には両社がハッピーな解決策はありません。
これが万が一起こってしまったら、当時の私は、私(中田)が謝る一択というスタンスでした。
でも、これだけは絶対に避けなければならないと思っていたので、「ここぞ」という時は必ず文章に残すように努めていました。
と言いますか、そういう教育を受けていきました。
「証拠を残しておきなさい。そのために文章に残しておきなさい」
という教育を。それにもかかわらず、楽したい時って手を抜いちゃうっていうのが人ってもんですよね。
だから、ちょいちょい事故が起きてた訳です笑
例えば、こんなことがありました。
新聞広告の掲載日の前日になっても、掲載紙面の確認メールが担当から来なかったので
「明日の掲載、大丈夫ですか?」
そんな確認をしたら、
「えっ、発注、入ってませんよ」
いやー、この時はさすがに青くなりましたね。
これは、かなり若手時代の事故ですが、この時の経験があったからこそ、上記に教えを実行するようになりました。
人間って、やっぱり痛い目をみなきゃ身につかないんですよね笑
でも、この時の心境って、とても明確に覚えて、
掲載日をメールで残すこと。発注をすること。すなわち、もう後戻りが出来ないということ。
そのことが怖かったんですよね。ほぼ初経験でしたし。だから、そこから逃げた。曖昧にしていた。
そんな感じだったんです。
振り返ってみれば、仕事のデキル先輩は、書く力が長けていたように思います。
彼らが作る文章(メール)は、
これはどういう案件なのか?
どんなメリットがあるのか、デメリットがあるのか?
もし、リスクがあるとしたら、どんなところにあるのか?
金額はいくらになるのか?
など。そういった外してはならないポイントが「分かりやすく」書かれていました。
で、この「分かりやすく」っていうのがポイントです。
誰から見て分かりやすいのか?って言ったら
お客様から見て、分かりやすい文章かどうか?
ということです。当たり前なんですけど。
この観点で言えば、日記を書いていても、書く力も思考力も高まると思いますが、
より高いそれを求めるのであれば、やっぱり第3者に見てもらった方が良いのでしょう。
日記よりもブログ。ブログよりもメルマガ。なのでしょうね、きっと。
誰かに読んで頂くための文章をどれだけ作ってきたのか?
それが書く力を醸成する上でとても大事なことだと思います。
書く力を鍛えるという話で言えば、
最近、普及しているチャットアプリっていうのはいかがなものか?
と思うことがしばしばあります。
文字通り、チャットアプリですから、気軽にお客様を含めやりとりができるのがこのアプリの魅力です。
一方で、そのカジュアルさゆえに、
これは絶対に外してはならない。曖昧なことを除去し、100%合意しなければならない。
そういった内容を伝えるには適していないのではないか?
そんなことを仕事をしながらちょくちょく思います。
仮に、そういった案件をチャットアプリで送って、仮に書き損じたことがあったとしても、
「あっ、すいません、これを漏らしていました。こちらも、合わせて、ご確認ください」
みたいなことが違和感なくできてしまう。書き込んだ内容も、後からでもいくらでも編集出来てしまいます。
やや緊張感が少ない感じがするのです。
でも、メールの場合は、一発で仕留めなければならない。送ってしまったら、後から編集もできない。だからこそ、
そのメールで確認すべきこと、合意すべきことを、分かりやすく、明確にしなければならない。曖昧なことを一切除去しなければならない。
crystal clearにしなければならない。
以前、イギリス人と仕事をしていたことがあったのですが、彼女の口癖がcrystal clearでした笑
そういった、重めのメールをお送りする時は、
分かりやすいのか?
書き損じはないのか?
何度も何度も読み返し、送信ボタンを押す時はちょっと震えるみたいなことがありました。
でも、そういった精神的にも、知的にも負荷のかかる行為が書く力のトレーニングにもなっていたように思うのです。
チャットアプリが便利なことも事実ですから、ツールも使い分けが大事なんですよね。やっぱり。
話すことの方が書くことよりも楽。
一方で、書くことの方が話すことより、正しく伝えられる。その分、知的負荷がかかる。
とするならば、このアウフヘーベンをどうしたらよいのか?
話して書けばよい
んです。今の時代にはそれが出来ます。
音声入力を駆使すれば良いんです。
これです。
今日、これを書いて(吹き込んで)きて、改めて、話して書く力はこれからの時代に必須な力だと確信しました。
だから、今日も明日もずっと、音声入力でブログを書いて行くのです。