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令和2年睦月31日 今日もクルクル通信521号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「転職します!」
「転職しようと思っています!」
「独立します!」
この1月は少なからぬ人からそんな話を聞きました。
4月まであと2ヶ月ちょっと。その変わり目に向かって動き始めている人は動き始めているんですよね。
新しいチャレンジの話を聞くことは、とても刺激をもらえるので、こちらも嬉しくなります。
こういった話はポジティブなことが多いとは思うんですけれども、中には耳を疑うような話もありました。
詳細は書くことを控えますが、中には「えっ、今の時代にそんなことってまかり通るの?」なんて思わざるを得ない形で、転職をすることになった友人もいました。
少なくともその職場、上司は彼にとって良いとは思えなかったですし、彼自身も、疑問を持つことが多かったようなので、
この門出は、長い目で見たら必ず良いことになる。彼ならば、必ずプラス返ることが出来ると信じています。これは勝手な意見で恐縮なのですが…
そんな彼から、追い打ちをかけるような「びっくり話」を聞きました。
会社を辞めるにあたって、その仕事でお世話になったコンサルタントの方から、「せっかくだから食事をしよう」というお誘いをもらい、実際に行ってきた。その場で、今後についてのアドバイスをもらった。
その中で、そのコンサルタントから、「1時間〇円という金額でコンサルを実施している」という話をが出てきた。
それを聞いた彼は、お時間も頂戴しているので…と思って、一応、その金額を財布から出した。
すると、先方は見事に受け取った
そうなのです。なんと。
彼も半分ジェスチャーのつもりでやったので、まさか実際に先方が受け取ることになろうとは…夢にも思わなかったそうです。
類は友を呼ぶ。
とはまさにこのこと。
悪い環境には悪い人が集まる
そういうものなのだろうと思ってしまいました。
環境とは恐ろしいもので、仮に最初は違和感があったことでも、ずっとその場にいると、それに慣れてしまう。いつしか疑問すら持たなくなってしまいます。
例えば、会社に勤めるようになると、それぞれの企業文化に染まっていきますよね。私のいた電通は、「電通人」なんて言葉もあるくらいですから。
もちろん、ポジティブなことで環境に染まっていくことは良いことですが、ネガティブなことだとすると、良いことは一つもありません。
でも、それが分かっていたとしても、一旦そこに身を置いてしまうと、抗うことがとても難しい。
それもまた事実であり、それが環境の力だと思うのです。
なぜ、それほどまでに環境の力が強いのか?
例えば、会社のような人がたくさん集まる場であれば、集団圧力などもあるかもしれません。
それも含めて、人間の意志が弱いからなんだと思うのです。
意志なんてあてにならないから、周りの影響を受けてしまうということなのだと思うのです。
「みんながやっているから。周りがやっているから…」という構文は誰もが何度も発動したことがありますよね。
易きに流れてしまうのが人ってものですから。
仮に、人の意志は弱い。意志なんてアテにならないものであるならば、
そもそも、どうやったらその環境に身を置かないようにできるのか?
そんな問いを立ててみる。
意志がなくとも行動できるような「環境を選ぶ。整備する」
ということは出来るのではないか。
意志がアテにならないのであれば、意志がなくても出来るようなシステムを作る
そんなアプローチが良いと思うのです。
作家の大沢在昌さんは、自分の書斎は作品を書くためだけの場所とするために、机と椅子とペンと原稿用紙以外は一切置いていないと言います。
メンタリストのDAIGOも、同じように何かに集中する時は、それ以外のものを一切身の回りに置かないそうです。
余計なものがチラチラ目に入ると集中できなくなるから。
物理的に何もない環境にし、ほかのことが意識に上らないようにすることで、
やるべきこと以外が出来ないシステムを配備した
といえます。
私自身、2週間ほど前から思索専用スマホを導入しましたが、かなり快適です。
この文章も今まさに吹き込んでいるところですが、吹き込むことを遮断する情報が一切スマホに出てきません。
以前の1台持ちだったら、吹き込み最中に、LINEやメッセンジャーのポップアップ通知が来ると、どうやったって意識がそっちに持っていかれてしまっていました。
その内容を確認してしまったら、「返信文はどうしたらよいのか?」そんな感じで意識が持っていかれてしまう。
メッセージにリンクがついていれば、それを見てしまうことだってあります。見たくなっちゃいますからね。
「ダメだ、今は吹き込むことに集中しなければ」なんて思ったとて、意識は、それへの対応で持っていかれてしまいます。
何とかそれらの意識を振り切って、作業を再開はしたものの、
「あれ?何を書こうとしていたんだっけ?」なんて感じで、記憶が吹っ飛んで、本来書きたかったことが書けなかったことも多々ありますから。
意思はやっぱり弱いのです。
でも、スマホを2台持ちにすることによって、それが一切なくなった。
これも、意志を発動することなく、集中できるシステムを整備できたと言えると思います。
多逢聖因(たほうしょういん)という言葉があります。
これは、「よい人に交わっていると気づかないうちに良い結果に恵まれる」という意味ですが、誰もがそうなりたいものですよね。
そのために、
そもそも自分に意思なんてない、意志なんてアテにならないものだ
という前提に立ってみる。その前提に立った上で、環境を整備する。自分に合ったシステムを構築し、良い行動を積み重ねていく。
という考えもあると思うのです。
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【今日のうねり】
人間は環境の影響を受けやすい生き物だ。
良い影響なら良いが、悪いそれは避けたいところ。
そのためには、「意志なんてそもそもない」という前提に立つと良いのではないか。
そのうえで、意志がなくとも行動できる環境を整備する、システムを導入するというアプローチが有効だ。
そうして、良い行動を積み重ねていけば、良いご縁に恵まれる。
多逢聖因を実現できるのだ。