誰もが人体実験済み。鉄板の新しいことへのチャレンジ方法

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令和2年如月1日  今日もクルクル通信522号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「プーゥ、プーゥ、プーゥ、緊急地震速報です。緊急地震速報です。プーゥ、プーゥ、プーゥ」

昨晩午前2時頃、少なからぬ方がこの爆音で目覚めたと思います。

間髪入れずに揺れが訪れて…めちゃ怖かったですね。

その後、揺れがおさまっても、胸の高まりが止まらず、ソワソワ状態が続きました。

「この後さらに地震が来たらどうするのか?」

「これで終わったのか?」

そんな言葉が脳内を駆け巡り、全く安眠ができず、僅かな物音でも、目が覚める。そんな状態で一晩を過ごしました。

正直、こんな経験は初めてでした。

2011年の東日本大震災の時、汐留の信号機が「折れるんじゃないか?」って程縦に大きく揺れ、日テレビルがメトロノームのようにグラングランしているのを見た時にも、こんなことにはならなかったのに。

あの時に比べたら、揺れも規模も全然小さな地震だったにもかかわらず、なぜ今回はこんな状態になったのか?

理由は1つしか考えられません。

ブログを書き続けていたからです。

自分なりに言語にして書き残してきたからです。

これ以外考えられません。

特に最近は、クレジットカードの不正利用を経験して、自分の身は自分で守るしかない。正常性バイアスに注意。

とか、

生物死滅の理由の圧倒的1位は、隕石、地震、火山の噴火などの理不尽な環境変化によるもの。

悲観的準備をして、楽観的に対処することが大切だ。

など、リスク対応について認めて(したためて)きたから。それによって、危機に対する意識が顕在化されるようになったから。

これ以外考えられないんです。

言葉には意識を変え、行動を変える力があるのです。

改めて、それを実感しました。

よく考えてみれば、幼い頃に無意識で身につけたこと以外は、言葉によって意識し、行動し、その後、無意識で出来るようになった。

そんなことしかないんですよね。

もしかしたら、幼い頃に身に着けたことでさえ、記憶がないだけで、親に何度も何度も口酸っぱく言葉で言われて、その結果として、自分でできるようになったのかもしれません。

例えば、

「オシッコとウンチはトイレでしましょう」

「朝起きたから、顔を洗って歯を磨きましょう」

「服を着替えましょう」

「靴下の向きは、L字の部分が踵に来るんだよ」

とか。

もう少し大きくなって出来るようになった掛け算も、

1×1=1 1×2=2 2×2=4(ににんがし)みたいに、これらを呪文のように毎日唱えたから、いつしか暗算ができるようになったんですよね。

他には、

英語の三人称単数、現在にはsをつける。

腹式呼吸は、おへその下の辺りに力を入れるような感じでお腹を膨らませる

とか。

別の事例で言えば、マニュアルってのも同じですよね。

カフェでバイトを始めたとしたら、きっとマニュアルを最初に手渡されます。

そこにはきっと、

お客様が注文に来たら対応したら、「いらっしゃいませ、ご注文は何になさいますか?」と笑顔で声をかける。

「コーヒー」という注文を受けたら、レジのボタンを押して、お客様に金額をお伝えする。お客様がお財布からお金を出そうとしている間に、振り返って後ろにある、コーヒーマシンのボタンを押す。
(会計をしてる間に、コーヒーを抽出することによって、時間を短縮できる)

こんなことが書かれているんだと思います。

全ての行動が言葉で記述されてるから、誰もが同じように行動できるようになるんですよね。

このように考えてみると、人間は、言葉なくして何かを獲得することはできないと言えるのかもしれません。

そもそも、「おしっこがしたい、うんちがしたい」と言った、生理現象は別として。

であるならば、「何か新しいことができるようになりたい」と思うならば、

言葉によって自分を躾けるしかない

と言えます。

そもそも意識になかったことを、言葉の力によって意識下に引きずり出してくる。それを唱えながら行動する。

その言葉を与えている間は意識することに成功するけれども、その言葉が頭から消えた瞬間からエビングハウスの忘却曲線にならって、

忘れて行ってしまう。

もう一度トライする時に、再び同じ言葉を与えて意識下に引きずり出す。それを唱えながら行動する。

また忘れる。また言葉で意識にあげる。行動する…

こういうことを繰り返している間に、いつしか、言葉がなくてもできるようになる。

歯磨きやトイレのように、無意識でできるようになっていく。

ここまでくれば、今までできなかったことが無意識で出来るようになっているんですよね。

すると、認知スペースに空きが出るので、また新しいチャレンジが出来るようになる。

よくよく考えてみれば、こうやって今まで誰もが成長してきたんだと思うのです。

これは、誰もが人体実験済み。鉄板の新しいことへのチャレンジ方法なのです。

子供の時と同じように大人の自分も躾けてみる。

その起点は、言葉ですから、まずは記述することから始めてみる。

メモでも日記でもブログでも形式はどんなものでも良いから、言葉として記述し、残しておく。

行動の変化はここから始まるのです。

そんなことばかりは記述したメモは、自分自身のためだけに編まれた自分のためだけの教科書

よりよく生きるためのオリジナルマニュアルとも言えるのかもしれません。

あった方が、間違いなく良いですよね?作るしかないのです。
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【今日のうねり】
新しいことを身に着けようと思うのであれば、言葉で記述することから始めよう。
我々が無意識出来るほぼ全てのことは、言葉で記述されているものなのだから。
子供の時に躾けたことを振り返っても、それは間違いなさそうだ。
自分の言葉を記述し続けたノートは、自分のためだけに編まれた自分のためだけの教科書となる。
これがあれば、成果が出ることは約束されているのだ。

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