<ベネチア国際映画祭>の何が凄いのか?

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令和2年如月11日  今日もクルクル通信532号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「コジキ、面白いね~」

ヨーロッパ随一の日本語学科を誇るベネチア大学のイタリア人学生は、口々にそんなことを言うそうです。

「好きな小説は?」

と聞くと、

タニザキ

と答える人が多い。

そんな話を、一昨年から1.5年ベネチア留学をされていた映画監督の林弘樹さんからお聞きしました。

文化の国、イタリアは徹底した、古典学習をする

音楽、文学、芸術などなど、ありとあらゆる分野の教育も古典からを基本としているらしいです。そして、

イタリア人はアートこそがインフラだと思っているそうです。

別に、道路がでこぼこだったとしても歩けるし、

エアコンが止まったとしても、インターネットがなくたって、生きていける。

でも、アートがなかったら生きていけない。

そんな感じだそうです。

ベネチアに住むすべての人は、全ての美術館が無料で入れるし、住民は毎日のようにそこに通っているみたいなんです。

あるいは、映画も、人々の生活にめちゃ根付いているらしいんです。

例えば、街のタバコ屋さんでも、とてつもなく映画について詳しい。当たり前のように古典作品から見ている。

「今度、映画祭にやって、来るポーランドの監督って、どうなの?」

なんて普通に聞かれて、それを映画監督の林さんが知らなかった。

なんてこともあったようですから。

 

映画祭は、芸術祭の大トリとして位置付けられるそうですが、世界最古の映画祭は、ベネチア国際映画祭です。

我々にお馴染みのアカデミー賞も、このベネチア国際映画祭を参照して、作品選んでいるとか。

この映画祭の審査基準の第一項目に挙げられていることが、

その作品が、その時代における人日の暮らし、文化をどれだけ前進させたのか?

だそうです。

2018年に映画界に大きな事件が起こりました。

それは、Netflix作品、<ローマ>がベネチア国際映画祭の最高賞である、金獅子賞を受賞したことです。

なぜ、これが事件だったのか?と言うと、

ネット作品である、これを、そもそも映画と見なすかどうか?

が、映画界では議論になっていたから。

他の二つの映画祭(ベルリン、カンヌ)では、これを映画とは見なさず、エントリーすらしていなかった。

それにもかかわらず、ベネチア国際映画祭は、作品として認め、かつ最高賞を与えたからなんだそうです。

ベネチア国際映画祭が、それを出来たのは、その選考基準を明確にしていたから。

大事なことは、

その作品が、その時代における人日の暮らし、文化をどれだけ前進させたのか?

であり、

媒体は関係ない

と判断できたからだそうです。

評価基準を明確にしておくこと。筋を通すこと。一貫性の重要性を感じざるを得ませんでした。

 

過去、ベネチア国際映画祭は、カンヌ、ベルリン映画祭から、遅れをとっている時代があったそうです。

それは、映画祭事体の評価基準が、例えば、

そこでどれくらい映画が売買されるのか?

等の経済合理性で図られていた時だそうですが、そんな時でも、ベネチア国際映画は、スタンスを一切変えなかったそうです。

ずっと、それを守り続けてきた。

でも今は一巡して、やっぱり世界の最高峰に返り咲いているそうですが、

それらはいずれも一貫した評価基準を守り続けてきたからだそうです。

 

イタリアってかっこいい国ですよね。

おしゃれファッションブランドあげたら、キリがない。

フェラーリはあるし、食事は美味しい。

文化芸術もある。

では、GDPが高いか?経済的に豊か?と問われれば、そうでもない。

そんなイタリアの魅力の源泉の一つが、一貫性にあるのではないか?

ベネチア国際映画祭や、現地に根ざしたイタリアの映画文化の生々しい話を林さんから聞き、そんなことを思いました。

それは、人もまた同じ。

自分に素直であること、一貫した行動し続けることで人が集まってくる。

魅力的な人ってのは、やっぱりここがぶれていないんですよね。

心に忠実に行動していきたい、そんなことを改めて思うのです。
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【今日のうねり】

魅力的な人は、自分の信念に素直で一貫性がある。そこがぶれないからこそ人が集まってくる。伝統のベネチア国際映画祭を、世界最高にたらしめているのも、それが理由。そこから学ぶべきことは多いのだ。