「どうせ敗北するなら完膚なきまでに」が良いのです。

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令和2年如月21日  今日もクルクル通信542号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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完膚なきまでの敗北経験は、人生には欠かせない

昨夜、弁護士の高橋壮介さんとご一緒をさせて頂き、そんなことを思いました。

高橋さんは企業法務の中でも「ファイナンス領域」が専門、かつ「英語がネイティブ」という掛け合わせで、大変な成果を上げられていらっしゃいます。

そんな高橋さんですが、高校までは野球にどっぷり。早稲田実業で甲子園の出場経験もあり、周囲からは、

「プロも狙えるんじゃないか?」

そんなことも言われていたそうです。ただ、ご本人としては、高校1年生の段階で「プロにはなれない」と確信していたそうです。

そのように思わざるを得ない、練習試合が、高校1年生の時にあったそうです。

当時対戦したピッチャーの球をバッターボックスで目の当たりにして、恐怖で動けなくなった。

「無名のピッチャーでこの球投げるのか?いや、プロなんて絶対無理だよ」

そう思って、プロの世界は諦めたそうです。

実はこのピッチャー、当時は全く無名だったんですが、3年間でめきめきと力をつけ、96年にドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した、伊藤彰さんだったそうです。

もちろん、当時はそんなことは知る由もなかったとのことですが。

結局、伊藤さんは負傷していた肩が回復せずに、1軍で活躍することなく、解雇になったそうです。

あの時の対戦で、あの時の「完膚なきまでの敗北」が、野球を道を閉ざしてくれた結果、他の道を考えるようになり、弁護士としての今の自分があるそうです。

似たような話を他にも聞いたことがあります。

私の先輩で、関東一部の大学のサッカー部キャプテンを務めた方がいました。

彼も、やっぱり周りから、「Jリーグに行けるんじゃないか?」なんて言われていたそうですけれども、

彼の中では高校時代に既に「プロなんか絶対無理」って思っていたそうです。

高校時代に県代表に選ばれていたそうですが、その練習で、自分が出したパスに対して、一人の選手から

「1テンポ遅せーよ」

って、一言言われたそうなんです。

たったこの一言で、「プロは無理だな」って思ったそうなんですよね。

「ほんのわずかなタイミングの違い。でも、そのタイミングで、自分はプレーすることはできないだろう」

そう直感したそうです。

これは、その先輩にとっての「完膚なきまでの敗北」だったみたいです。

プロの世界でも近しい話を耳にしたことがあります。

サッカー日本代表で大活躍した稲本潤一さんも、12歳の時に小野伸二さんと出会って、

「ごっついやつがいる!センターハーフのポジションは無理だな」って思って、ポジションを変えたっていう話を聞いたことがあります。

 

実は、私もサッカーで同じような経験をしました。小学校6年生の時に、同じチームになった碇谷兄弟が上手すぎて、

「あー、これは俺は及びではないなって」思いました。

「完膚なきまでの敗北」なんて言うと差がありすぎて、僭越ですが笑

「完膚なきまでの敗北」というのは、「世界認識が変化した経験」と言い換えることができます。

今まで自分が信じてきた当たり前が当たり前ではなくなるわけですから、当然、自分自身の生存方法について見直すようになります。

「どうしたら、ここで生き残ることができるのか?」

って、真剣に考える人もいるでしょうし、

「どこだったら、生き残っていけるのか?」

って、場所自体を見直す人もいるでしょう。

いずれにしても、確かなことは、

どうせ敗北するなら完膚なきまでの方が良い

ってことです。

中途半端な負け方だと、振り返りも甘くなってしまいますよね。

「今回はたまたま負けたんだ」

「俺の方が、あそこは勝っている。負けてない」

みたいに、自分に逃げ道を作ることが出来ちゃいますからね。

でも、完膚なきまでに負ければ、言い訳の余地なんてないのですから、真剣にそれを見つめ直すようになりますよ。

「自分の強み・弱みはどこなのか?」

「自分は何ができて、何ができないのか?」

「どこだったら、自分の強みを活かせるのか?」

などなど。

その中で、その当時の「最良と思われる選択」をして、さらに、そこでチャレンジをする。

そこで、また世界認識が書き換わるような、「完膚なきまでの敗北」を経験して、

再び、自分自身について考える。

また、新しい一歩を踏み出す。そこで、また「完膚なきまでの敗北」を経験する。

もう一度、考え直す。行動し直す。

そんなことを繰り返していくうちに、いつしか、

「まあ、ここだったら生きていけるのではないか?」

自分が生存できる場所にたどり着けるようになるのでしょう。

 

となってくると、

どれだけ完膚なきまでの敗北を経験するのか?

ってことが大事と言えそうです。

その回数が、多ければ多いほど、自分が心地良く生きることが出来る場所に近づいていけるようになりますからね。

ご機嫌な人生になっていくのでしょう。

負ければ負けるほど、世界認識が書き換わり、真剣に自分のことを考える回数が増えるのですから。

たぶん、その居心地の良い場所ってのは、めちゃニッチな場所なのでしょう。

存在できるのは、自分しかいない

自然界においても、1つの環境で生存できる生物は1種だけらしいですし。

ビビることなく、ガンガン攻めていけばよいのです。
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【今日のうねり】
人生には、負ける経験が必要だ。
それは多ければ多いほど良いのだ。
なぜなら、そのたびに自分自身について真剣に考えるようになるから。
しかし、その負け方が中途半端だと、振り返りも甘くなってしまう。
どうせ負けるなら、完膚なきまでにやられた方が良いのだ。
負ける⇒振り返る⇒新しいトライをする⇒負ける⇒
ということを繰り返していくうちに、きっと自分しか存在できない場所にたどり着くことが出来るのだ。
だから、ビビることなくガンガン攻めるのです。