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令和2年弥生14日 今日もクルクル通信564号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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解釈力があればご機嫌な人生を歩めるよね。
って、昨日書きましたが、今日も続けたいと思います。
解釈力とは、詰まるところ、「言葉遣い」の話です。
同じ現象に直面しているのに、それを「ピンチ」と自分に言い聞かせるのか?
それとも、
これは「チャンス」と言い聞かせるのか?
違いはたったこれだけ。
でも、この「ピンチ」と「チャンス」。単語を一つ変えることができるかどうか?だけで状況が一変するわけです。
本当に不思議なものなのですが、本当にそうなのですよね。
例えば、高校のサッカーの試合でこんなことがありました。
私がマークしてた相手が、大して触れてないにもかかわらず、
「いてーな、この野郎。ふざけんな」
って言って来て、とりあえず、
「すいませんね」
って謝ったことがあるんです。
実際ファウルでもなんでもなかったので、謝る必要もなかったのですが。
で、でも、それ以降、自分でもビックひするくらい、その相手にぶつかりに行けなくなったんです。
ぶっちゃけ、実力的には私の方が上でしたし、相手にならないはずなんですけど、どうも気持ちで押されている。
心の中で、
「また、因縁付けられるんじゃないか?」
とか、
「こいつ、怖いな」
みたいな、負けた言語を回してしまっている自分がいました。
別に練習試合でしたし、負けもしなかったんですが、全然いいプレーが出来なくなった試合として、今でも脳裏に刻まれているんです。
あの時、「すいません」ではなく、「あれで痛いならサッカーやめたら?」
なんて、発言していたとしたら、相手を圧倒出来ていたのかも、今ならそんなことも思います。あんなに動けなかった理由は、自分の「すみません」という言葉と謝るという行為によって、自らの行動が縛られてしまったんだと思うんです。
言葉は、認識を変えてしまう。その結果、行動も変えてしまうのです。
「どんな言葉を使うのか?」ってめちゃ重要なのです。
話は一気に今に戻るのですが、
最近、自分の仕事についてよく考えています。その中で、
今までは、「自分を仕事は〇〇」って言葉にしていたんですが、
「自分を仕事は△△」って、言葉を変えてみたんです。
「自分の仕事の捉え方を変えてみたら、△△とも言えるんじゃないか」
って解釈を変えてみたんです。
その途端に、「こんな可能性もあるんじゃないか?」って、勝手にアイディアが浮かび始めたんですよね。
そうすると、見るもの全てが変わって見えるんです。見ているものも、生きている空間も全く変わっていないのに。
「こんなことも、あんなこともやってもいいんじゃないか?出来るんじゃないか?」と夢想することが増えました。
「ドラえもんかよ」って感じです笑
今まで張っていなかった方向にもアンテナが立ち始めて、今まで視界に入らなかったものも目に入るようになってきました。
繰り返しになりますが、今自分がやっていることも生活も何ら変わっていません。
ただ、自分の意識が変化し始めているので、自ずから、外部に発している言葉も変わった部分があるのかもしれません。
事実、お客様から、「こんなことって出来ないんですか?」って逆提案をもらうこともありましたから。
世の中が止まっている、こんな状況だから、大胆に「言葉使い」を変えてみるって言うのはありなのかもしれません。
言葉使いを変えるだけで、個人の行動だけでなく、ビジネスも大幅に変わるのだと思います。
例えば、扇風機メーカーで、更なる商売の拡大を考えていたとします。
今の商売を「自分は扇風機屋」と定義をすれば、より高性能な扇風機の開発に力を入れていくでしょうし、
はたまた、「お客様に快適な夏をお届けるパートナー」って定義をすれば、
仮に、アイスクリームも、短パンも、アイスノンだって作ることができます。
あるいは、「羽メーカー」って定義をすれば、
ヘリコプター用のプロペラを作っても、飛行機のエンジンを作っても良いですよね。
実際にそれで商売が出来るか?はさておき、夢想段階では、そこまでアイディアを拡げたって、何ら問題ないわけです。
でも、こうやって定義を変える=言葉使いを変えるだけで、世界は一変するはずなのです。
その昔、任天堂という会社は花札屋さんでしたよね。でも、今や「世界を代表するゲーム会社です。
社史も創業者の自伝も読んだことがないので、単なる、例の一つとしてですが、
創業以来、自分たちを「花札屋」って決めれば、ずっと花札だけを作る会社になっていたでしょうし、「カードゲーム会社」って定めれば、トランプなどのカードゲームを開発する会社になっていたでしょう。
でも、「娯楽屋」という定義をしていたから、家庭用ゲーム機を世の中に出ていくことが出来たんだと思うのです。
たったわずかな言葉の違いだけで、認識が変わります。認識が変われば、世界の解釈が変わります。
解釈が変われば、行動も変わっていきます。そのまま行動をし続ければ、人生も変わっていきます。
こんな時ですから、ちょっとゆっくり自分について、考えてみる。言葉遣いを変えてみる。
もしかしたら、それだけで、行動すべきことが山ほど出てきて、この緩やかな時間が忙しい時間に一変する可能性もあります。
言葉遣いを変えるだけで、世界が変わるとしたら、どんなことが起こっても、それを常にプラスの言葉で解釈をしてみる。それがいつも出来るとしたら、人生はどんどんご機嫌なものになっていくはず。
人生は言葉遣いで決まるのです。
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【今日のうねり】
人生においては、解釈力が欠かせない。解釈力とはつまるところ、言葉遣いだ。
扱う言葉変わるだけで、見える世界が一変するし、それに合わせて行動も変わるのだ。
行動が変われば人生が変わるのだ。
であるならば、どんな状況であろうとも常にプラスに会社をし続ける。すると、行動し続けるしかない毎日になる。
それが出来たら、常にご機嫌な人生が歩めるのだ。