「言葉の名匠」二人が続けていること

==========
令和2年卯月19日  今日もクルクル通信600号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
==========

昨晩は午後7時から11時までのオンラインセミナーに参加。

ドラッカー学会理事の井坂さんと鮒谷さんのトークセッション。

「こんな素晴らしい対話が無料で聴けていいのか?」

としか言いようがない、本当に学び溢れる時間でした。しかも、90分のオーバータイムというサービス付き。

心の中で「コロナウイルスありがとう」って思ったのは私だけではないかもしれません。超不謹慎で、申し訳ありません。

井坂さん、鮒谷さんに共通していることは、とてつもない「言葉の使い手」であるということです。

とにかく、紡ぎ出される言葉、繰り出される比喩表現、当意即妙な語りが凄いんですよ。

4時間で、何個の秘孔を突かれたのか?って感じでした笑

昨晩初めて知ったんですが、井坂さんも、日記歴15年以上らしいんですよね。鮒谷さんは既にメルマガも6000号以上配信されていますし、日記を含めると20年以上書き続けていらっしゃるそうです。

全ての「言葉の匠」が日記を書き続けているかどうか?は分かりませんが、お二人の話を聞いていると、

毎日書き続けることが、「言葉の匠」に繋がる再現性のある手法

のような気がしました。

まあ、私も実際に鮒谷さんに接し、それに憧れ、毎日ブログを書いています…お二方の背中ははるか彼方ですが笑

とは言いながら、今日で、ブログを書き始めて600日が経ちました。

「10年書き続けると、その進化を実感できる」という話ですから、まずはそれを目指してやっていきます。

巧みに言葉を扱えるようになるのであれば、書き続けない手はないですから。

ただ、言葉を紡ぐ力。言葉の巧拙って、超わかりにくいんですよね。自分でも伸びているのかどうか?実感しにくいし、第三者からも気づかれにくい。

鮒谷さん流にいうと、「バサロ泳法」みたいなものだそうです。

すなわち、潜り込んでいる最中は、どこまで進んでいるのか?気づかれないし、分からない。でも。浮上してきた時にとてつもない勢いで前に進んでいる。そういうものだそうです。

今、私も潜っています!笑

どこまで前進しているかどうか?はさておき、

毎日書き続けるということは、自分の中に深く潜って行く行為

という実感はあります。

そりゃ、毎日(毎分毎時)自分に感じたこと、思ったこと、考えたこと。「!」や「?」がついたことなど、ありとあらゆることをメモし、それを一つの文章として形に残す行為は、紛れもなく自分の内面的対話をすることになりますからね。

まだ「言葉の使い手」の見習いでしかないですが、この600日で自分についての理解が深まったこと」は間違いありません。

仮に、昔と今で言っていることが違っているところがあり、

「なぜ、そう変わったのか?」って万が一、問われることがあったとしても、答えることが出来ます。思考の変遷を全部残してきているわけですからね。

自分の理解とは、自分の思考の理解でもありますから。

あるいは、「自分の理解が深まる」ということは、「自分の輪郭が分かる」ようになると言い換えることもできます。

書き続けていると、自分はこんな考えを持っている。ここまでは分かっているけど、ここからは分からない。といった「自分と外の世界の境界が分かる」ようになります。書けば書くほど、リアルにそれが分かるようになるんですよね。

日記やブログ。そこに綴られた言葉って小さな「ノミ」みたいなものなんですよね。そのノミで大木に自分と言う彫刻を掘っている。

そんな感じなのかもしれません。

書けば書くほど、彫刻が立体化されていく。自分という人格が出来上がり、自己理解も進むのだと思います。このように考えると、

深い自己理解が出来ている人が、言葉を巧みに扱える

とも言えそうです。

自分で自分を言葉でコントロールできない人が、巧みに言葉を用いて、人様に影響を与えることなんてできるわけないのです。

現代の「言葉の名匠」とも言うべき2人のトークセッションを聴き、改めて、それを目指すことを決意しました。

これからもブログというノミを使って、「自己彫刻」を掘り続けて行きます。
*****
【今日のうねり】
「言葉の名匠」を目指すのであれば、書き続けるしかない。書くという自己との対話を繰り返すことで、言葉が紡ぎだせるようになるのだ。
言葉の巧拙は、簡単には分からない。巧くなるにもめちゃ時間がかかる。しかもその過程が分かりにくい。
バサロ泳法みたいなものだ。潜っているときは気づかれない。でも浮上した時にめちゃ前に進んでいる。焦らずにやるしかない。
書くことは、自分の彫刻を掘るようなもの。言葉のノミで自分を毎日掘る。やればやるほど、自分が立体化され、自己理解が進むのだ。
深い自己理解がない人が言葉を巧みに扱えるわけがない。自分をコントロールできない人が、第三者に影響を与えることなどできないのだから。