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令和2年卯月23日 今日もクルクル通信604号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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<昭和館>という施設が九段下にあります。
昨日、散歩をしているときに、掲示板に貼ってあった
伝えたい 昭和の暮らし
というポスターが目に飛び込んできました。
今まで300回以上は前を通ったことがありますし、ちょくちょくその掲示板を見ては、
「あっ、こんな展示やってんだな」って思ってはいました。ただ、思っただけで足を止めたこともなければ、中に入ったこともありませんでした。
でも、昨日はそのポスターの前で立ち止まって、まじまじとそれを見てしまいました。
瓦礫の中を、子をおぶったお母さんが、長男の手を引きながら歩く写真。タイトルは、「東京で生活を再建し始めた人達(母と子)」。
「線路で貴重な米をすくっている若い鉄道員」というタイトル写真は、文字通り、線路にばらまかれている米を若い鉄道員がお椀ですくっています。
他には、「食料配給を持って列を作る女と子供」という写真や、道端で千人針を縫っている女性の写真もありました。
今まで何度もドラマで、映画で数多くの戦争をテーマにしてきたものには触れてきましたが、なんだか今回は胸にグッときて、見入らざるを得ないものがあったんです。
昭和20年。75年前の話ですが、これを見て、
「75年前?はるか昔のことじゃね。全然関係ないわ」
って、思うのか、
「僅か75年前がこんな世界だったのか。まだこの先何があるか分からないな」
って思うのか。
それは、人間一人一人の解釈があるとは思いますが、少なくとも私は後者でした。
今、こんな事態に遭遇しているからこそなおさら、そう思ったんですよね。
写真を見ながら、101歳の祖母が話していたことをあれこれと思い出しました。
東京大空襲の防空壕の話。疎開の話。戦後の瓦礫の山の話。
「話せば分かる」の犬養毅が殺害された日の話。(これは、時代がさらに古いですが)
それに加え、祖父から聞いていた関東大震災の話も思い出しました。ちょうど昼飯を食べているときに、「グラグラグラ」って途轍もない揺れに見舞われ、大火事の中生き延びたって話を。
祖母は、これらだけではなく、高度経済成長も、オイルショックも、バブルも、バブル崩壊も、インターネットバブルも、リーマンショックも、東日本大震災も。
そして今回のコロナショックも、全部経験しているんですよね。
残念ながら外出自粛指令が出てから、祖母とはちゃんと話ができていないですけれども、きっと
「嫌なことね、ホントに」とか言いつつも、「まあこんなことあるわよ」って言うんじゃないか?って想像もしました。
ちょっとこの75年を振り返っただけでも、めちゃいろんなことが起こっていますもんね。デカいのばかり。
それを実際に生き抜いてきたら、免疫耐性があるに決まっているって思うんですよ。
あの戦争の写真を見たら、「今のこの状態なんて、全然大したことないな」って思ってしまいました。
外出自粛で、感染者数も日に日に増えていますけど、毎日晴天の下、新緑の中を自由に散歩はできるし、食べ物は基本的に何でも手に入る。ゲームもインターネットも娯楽は充実しているし、瓦礫の山もないですから。
であるならば、
100年時代の現代においては、まぁ何かしら不測の事態は起こるものだよね
という前提に立つ。「1年や2年。場合によっては3年~5年がかりで対応していくことが起こるものだ」って思っていた方が、基本スタンスとして良いと思うのです。
とは言いながら、「不況処女」の私には、完全に今回は、異常事態だし、想定外の出来事でしたが…笑
大事なことは、
どういう時間軸で物事を捉えるのか?
短期的な意味と長期的な意味をそれぞれどのように見出すのか?
という大局的な視点なのだと思うのです。
仮に今回の出来事が収束するのに2年かかったとしても、100年ライフにおいてはたったの2%です。
この2%をどう過ごすかで、次の10年が大きく変わるのだとしたら、この2年を拡大生産ではなく、開発投資に位置づけたとしても、それはむしろ「全然あり」とも思えるのかもしれません。
時間軸をコントロールすることによって、認識も大きく変わりますし、合わせて気持ちもコントロールできるんですよね。
時間軸を上手にコントロールできる人は、心穏やかに生きることが出来る。生きた方上手になれるのかもしれません。
75年前の戦争の写真を見て、今を相対化することが出来ました。
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【今日のうねり】
100年時代においては、「必ず何かは起こるもの」なのだ。その前提に立っておいた方が間違いない。
そして、何かが起こったときは、時間軸をどうとるのか?で認識が大きく変わる。
長期的に見るのか?短期的に見るのか?で意味で全然異なる結果になるのだ。
短期で見たら、地獄でも長期に見たら天国なんてこともあるのだ。
だから、時間軸を上手にコントロールできるかどうか?上手に生きることが出来るのか?に直結するのだ。