「たったそれだけ?」をやるだけで、人生は好転していく

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令和2年皐月3日  今日もクルクル通信614号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「今週の日曜日は臨時営業をするので、ぜひ来てください。お願いします!助けてください!」

先日、前を通った、近所のイタリアンの方からこんなお声がけを頂きました。

「わざわざ、そんなことを言って来てくれているわけだし、しかも天気も良い。行くしかないよね」ってことで、今日のランチに行ってきました。

地元では人気のあるお店ですし、彼も、道行くお客様全員に、同じような話をしているだろうから、「今日のお昼はけっこう、お客さんが入っているだろうな」って、ソワソワしながら12時にお店に向かいました。

すると、予想を裏切り、見事に店内にはお客様が1人もいませんでした。

一つだけある外のテーブルに一組だけ。

「あれ?てっきり、今日は常連さんがたくさん来て一杯かと思っていましたよ」

なんて話をすると

「いやー、全然そんなことないですよ。お店の前は「頑張ってねー」なんて挨拶をして通ってくれるんですけど…

でも、実際に来てくれる人って少ないんですよ、中田さん、ありがとうございます」

とのこと。

彼は決して口には出さなかったですけど、心の中で、

「同情するなら金をくれ!」ならぬ、挨拶するなら買ってくれ!

って叫んでいたと思うんですよね。

いつもだったらゆっくりできる連休なのに、それを返上して、必死で働いているんですから。

もし何か自分に貢献出来ることがあったら、したいよね。何も何万円もする話ではなく、数百、数千円の話ですし。

少なくとも私はそう思って、ランチにお邪魔してきました。人との接触は極力避けたいので、しっかり外のテーブルが空くまで待ちましたが笑

でも、よくよく考えてみたら、私が思っている以上に、こういったときでも、行動しない人の方が多いのでは?

なんてことも思ったんですよね。

以前も、愛してやまないローマピザの生田さんからも

「おすすめのお店って、けっこう聞かれるんですけど、行く人なんていないですよ。中田さんぐらいです」

って言われたこともありました。

なぜ、そういった人が多いのか?その理由は分からないのですが、私は、今回のようにお誘いを頂いたときは、出来る限り「行く」ようにしています。

「はい!かイエス!か喜んで!」というメンタリティを大切にしているということもありますが、それ以上に、

「自分が人からしてもらって嬉しい」ことだけをやる

という意思決定をしているからです。

もちろん、それがどこまで出来ているかは分かりません。お断りをしてしまったことも、約束を違えてしまったことも沢山ありますが、でも、これをめちゃ大切にしています。

だって、お互い様じゃないですか。こちらが困っていて、誰かの力を借りたい時だってありますよね。そんな時に助けてくれる人がいたら、めちゃ有難い。嬉しい。そして、そこで助けてくれた人のことってずっと忘れないんですよね、助けてもらった方は。

だから、自分に出来ることがあればやると決めているんです。

もちろん、どんな時でも、「お願いします!」ばかりのクレクレ星人や、礼節を重んじない人のお願いばかりに応えるわけにも行きませんが…

実際、私は飲食店のみならず、数多くの素晴らしい友人に恵まれています。

これだけは自信を持って言えますが、それは一定程度、この意思決定の成果だと思っています。

こんな話って、幼稚園生の時から、何度も何度も言われてきたことだと思うんです。真新しいことなんて何一つないですよね。

仏教に言われている、「自利利他」とも、キリストの教えの「汝、隣人を愛せよ」とも同じですから、2000年以上前から言われていることです。でも、

たったこれだけのことかもしれないですけど、それをやるだけで、

人様から、ちょっと気にかけてもらえる存在になる。

そんなことを思うのです。

裏を返せば、たったそれだけのことをやっていない人が多いのかもしれません。

 

わずかなことの積み上げで、人生は変わっていく。

微差の積み重ねが絶対差を生む。

積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り

なのですから、

無理のない範囲で、僅かなことでも、周りの方に喜んで頂けることを積み上げていけば、明るい人生が切り開けていけるはずなのです。
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【今日のうねり】
自分が人にされて嬉しいことだけをやる。という意思決定をして生きる。
そうすれば、仲間に恵まれる。自ずから明るい人生が切り開けていくのだ。
どんな小さなことでも良いから、自分の無理のない範囲で、人様にそれをしていく。
多くの人は、たったそれだけ?ということすらをやっていないのだ。だからやるだけで差がつく。
積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り
なのだ。