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令和2年文月20日 今日もクルクル通信690号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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その昔、
「中田、お前がやってんの、仕事じゃなくて作業だから」
と、先輩から言われ、今では、
仕事とは、未来に資産を生む営み
作業とは、その場限りの営み
そんな定義を持つようになった、と
昨日、書きました。今日も続けます。
では、当時の私がやっていた「作業」は本当に「仕事」ではなかったのか?
というと、必ずしもそうではなかったと思います。
作業の中にも、「仕事」はありました。
その先輩も、私がその「仕事」をしていたので、
「いい加減、お前もそろそろ自分で仕事を作れよ(作業の中ではなく)」
という意味もこのメッセージに含めてくれていたとも感じています。
昨日も書いた通り、
目的地をセットして、現在地からそこまでのレールを敷くことが仕事であり、
そのレールを使って、荷物を運搬することが作業。
そんなイメージなのですが、その荷物の運び方は、無数にあります。
例えば、
自分の手で一つ一つを運ぶのか?
台車を使って運ぶのか?
レールの上にタイヤと板をひいてしまって、ベルトコンベアを作ってしまうのか?
あるいは、
鉄道を敷設してしまうのか?
など。
ありとあらゆる荷物の運び方があって、状況に応じて、使えるリソースも変わりますが、創意工夫の余地が多分にあるのです。
結局、
作業を作業にするかどうかは、全て自分次第。
同じ、荷物を運ぶ行為だとしても、レールの長さや行先によって、やり方は変わるのです。
それにもかかわらず、
毎回、自分が知っている同じ運び方だけで、「馬鹿の一つ覚え」みたいにやっていると、
「お前、また代車で引っ張ってんのかよ。今回って、荷物も少ないんだから、お前が10個ぐらい抱えて走って行った方が早いだろ、頭と体を使えよ!」
とか、
「この山道で、台車はきついだろ。予算あるんだから、ベルトコンベア敷けば?」
みたいな指導を受けることがあるのです。
作業員だからと言って、作業だけをしていれば良いというものではないのです。
むしろ、作業員だから、作業しかしないと一生作業員のままなのです。
このレールはなぜ敷かれているのか?
それを考え続けていれば、創意工夫の意欲が湧き、作業が作業にならなくなるのです、
そういう行動をし続けていると、
「そろそろ、あいつにレールを敷くの任せても良いんじゃない?短くて楽なやつ」
みたいなチャンスが訪れるのです。
一方で、先輩が年次が高いという理由だけで、レールを敷いているケースがあります。
これは特に大企業。中でも、年功序列が生きている会社にありがちなことなのですが…
そのケースで、たまに起こる悲惨な出来事が、
「えっ、先輩、あそこにレール敷いちゃったの?荷物を運ぶの、どう考えても無理じゃね?」
というやつです笑
明らかに、無理ゲーなのに、「後、ヨロシク」ってやつが、あるんですよね。
青函トンネル?黒部ダム?クラスの難事業っしょ!?
としか思えないやつ。
その実行を任され、それの難事業っぷりに気づいたときに愕然とするやつです。
でも、それをやり切ったときは、それはそれでとてつもなく能力が伸びることがあるんですよね。
ダメな先輩に就いた人間が、激烈な成長を遂げるケースはこれだと思います、反面教師的に笑
実際、そんな難事業を何度か経験すると、自分がレールを敷く立場になった時に、
意味があって、運搬もしやすいレールを敷くことが出来るようになる。つまり、良い仕事が出来るようになるんですよね。
上司と先輩を選べないのが、大企業勤務の性ですから、
どんな時でも、作業を作業にしない。創意工夫を持って、業務に取り組め気持ちが大切なのです。
大好きな経営コンサルタントのトム・ピーターズは、
小さい仕事はない。あるのは小さい想像力だけ
といっています。めちゃかっこいいですよね。
ここでは、今回のような「仕事と作業」の整理はないので、要するに、
全てを「仕事」に変換するのは、自分次第。
ということだと思います。
それさえあれば、どんな行為も未来に繋がる「仕事」になるのです。
そんなトライをし続けていれば、必ず具眼の士がチャンスをくれるのです。
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【今日のうねり】
どんな仕事でも「仕事」になるのだ。
作業を作業にしてしまうのは、自分自身の心持ち。
小さな仕事はない。あるのは小さな創造力だけなのだ。
創意工夫を持って仕事に取り組み続けていれば、具眼の士がチャンスをくれるし、それをやり切る力が自分にもついているのだ。