仕事か?作業か?を決めるのは、自分の「辞書」

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令和2年文月21日  今日もクルクル通信691号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日一昨日と「仕事と作業」について書いてきましたが、

「そんなことをまさに考えていた」

「その通り」

「漠然と思っていたことがクリアになった」

など、多くの方から、Facebookでコメントや、直接メッセージを頂戴しました。

やっぱり、こういった反応いただけると、嬉しいものですね。

ご連絡を下さった、皆様、有難うございました!これからも宜しくお願い申し上げます。

 

「仕事と作業」について考え、言葉にしている人にとっては、「自明」のことだったかもしれませんし、

考えたことがなかった人にとっては気づきがあったことだったかもしれません。

でも、「仕事」という言葉も、「作業」という言葉も誰もが元々知っていた言葉なんですよね。

例えば、goo国語辞典によれば、

仕事:

 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの仕事」「仕事が手につかない」

 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある仕事を探す」「金融関係の仕事に就く」「週の半分は自宅で仕事する」

 したこと。行動の結果。業績。「いい仕事を残す」

 悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。「掏摸 (すり) が集団で仕事をする」

 《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。「お前急に一つ―をしてくれんか」

 力学で、物体が外力の作用で移動したときの、移動方向への力の成分と移動距離との積。単位はエネルギーの単位ジュール、その他ワット秒・ワット時など。

作業:

[名](スル)仕事。また、仕事をすること。特に、一定の目的と計画のもとに、身体または知能を使ってする仕事。「修復作業にとりかかる」「徹夜で作業する」「作業能率」「農作業」

(以上、抜粋)

と書いてあります。

でも、私の辞書にある、

仕事:未来に資産を生んでくれる営み

作業:その場限りの営み

とは書いてありません。

あるいは、

仕事:会社に行くこと。

という人もいるかもしれないですし、

仕事:お金を稼ぐために、月曜日から金曜日まで週5で会社に行って、苦痛に耐えること。

という人もいるかもしれません。

はたまた、

仕事:楽しくて仕方ないこと。生き甲斐。その活動の結果、代価を頂戴できること。

という人がいるかもしれません。

十人十色。同じ行為でも、自分の辞書の定義によって、実態はまるで別物になると思うのです。

「スポーツ」で考えてみても、

自分がやるもの。

という人もいれば、

観戦するもの。

という人もいるでしょう。

「難局」という言葉でいえば、

諦める場面。

という人もいれば、

厳しいが、その先に進化がある場面。

という人もいるでしょう。

他の例で言えば、

広告とは、広く告げること。マスメディアを使って情報を発すること。

と自らの辞書に記載している人もいれば、

広告とは、1人ひとりに適切なメッセージを届けること。

と記載している人もいるでしょう。

前者の広告担当者は、いつの時代も、どんなクライアントのオーダーに対しても、テレビCMありきのコミュニケーション設計を考えるでしょう。

後者の広告担当者は、むしろ、今の時代は、WEBを中心に据え、テレビや雑誌、新聞や屋外広告は、必要であれば実施。という発想でコミュニケーションプランを考えるのだと思います。

その瞬間に直面している事体は同じでも、その1人1人の辞書に記述されている説明によって、実態はやっぱり別物になると思うのです。

「余の辞書に不可能という文字はない」

と言ったのナポレオンですが、

「余の辞書に不可能という文字しかない」という人もいるかもしれませんよね笑

結局、自分自身の辞書とは、自分の頭を回る言葉の集積ですから、それがどのように編まれているのか?によって、意識も行動も変わるのです。

そこに記載されている言葉が違えば、

同じ令和2年7月21日に日本に生きたとしても、まったく別の世界を生きているとも言えるのです。

ちょっと大袈裟かもしれませんが、でもそういうことなのだと思うのです。

 

自分の考えたことを表わすために、辞書を引いて言葉を選びながら作りながら文章を作りますよね。

今は全部Webオンリーですが…昔は紙の辞書でした。(確か「大辞林」だった気がします。)

文章の時は、「辞書」ですが、人間は何か行為をする時は、同じように、自分の中にある辞書を参照にしながら行動をしているというように捉えることもできるのではないでしょうか?

別の言葉で言えば、

人は、自分の中にある辞書にある言葉で生きている

ということです。

もしそうだとするならば、

自分の中の辞書を整える

という意識を持って生きるという考え方は、よりよく生きるために役立つと言える気がするのです。

そのために、良い言葉を収集していく。

今まで知っていた言葉でも、よりよい定義に出会ったら、その辞書に更新をかけていく。

「素敵だな」「かっこいいな」って思う人に出会ったとしたら、

「その人の辞書にはどんな言葉は入っているのだろうか?それはどのように記述されているのだろうか?」

「その辞書と自分の辞書とのどんな差があるのか?」

「彼の辞書にあって、自分のそれにないものはどんな言葉か?」

「同じ言葉があったとしても、別の説明が書かれているのではないか?」

そんな視点で、洞察してみる。

自分自身のオリジナルの辞書を編む

日々、この視点で、言葉集めをして行けば、毎日が楽しくなり、人生がなお豊かになると思うのです。
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【今日のうねり】
人間は、自分の辞書にある言葉によって生かされている
と言っても良いのではないだろうか。
それを参照して、日々直面する事象を捉えているのだから。
辞書への表わされ方によって、その事象の見え方が変わるのだ。
だとするならば、
自分の辞書の言葉を整える。
自分だけの辞書を編む。
そんな意識で毎日を生きたら、人生は豊かになるのだ。