「占領」「独立」が身近になった日

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令和2年9月6日  今日もクルクル通信749号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日は昭和館に行ってきました。

以前から気になっていたので、「ついに!」といった感じです。

お目当ては、

戦後75周年特別企画展 占領と独立までの軌跡

です。

タイトルのインパクトが強すぎました。

戦争を知らない私にとって、「占領」も「独立」も教科書の中に登場するだけの単語でしかありませんでした。

ところが、「戦後75周年」という言葉と結びついた途端に、急に身近なものに感じるようになりました。

わずか75年前ですよ。

GHQとマッカーサーが日本に上陸。占領したのは。

わずか75年前まで、家長が絶対的な力で、家族を統制する、家父長制度があったんですよ。

男女平等、LGBTなどなど、今ではスタンダードになりつつありますが、考えられます?家父長制度。

今から見れば、この家父長制度も「まじかよ?こんな制度ないだろう」って思いますが、当時はこれが当たり前のパラダイムだったんですよね。

この展示には、戦後直後の闇市(新橋、新宿)の写真なども展示されていました。

中に、栄養失調の子どもたちの写真もありました。

それが尻だと思えないほどやせ細った、シワだらけの尻。肋骨が浮き彫りになっている後ろ姿。

DDT散布の行列写真もありました。

これが日本だなんて、信じることが難しかったです。

でも、これもわずか75年前の話なんですよね。

この75年という時間を「75年も」と思うのか?「僅か75年」と思うのか?は人それぞれだとは思います。

人によっては、自分には全く関係ない遥か昔の話だと思うかもしれませんが、

100年時代を生きるとしたら、少なくとも「他人事」だとは思わない方が、良いと思います。

これを自分に関係ない話だと思えば、

「こんなことは、二度と起こらないだろう」という前提で、生きることになります。

もちろん、それはそれでありかもしれませんが、

もし今回のコロナのような、予期せぬ出来事が起こったら、プロアクティブに動くことは出来ないでしょう。

いわゆる、正常性バイアスになりますからね。

一方で、「こういったことが起こるものだ」と思えるのであれば、日頃から、精神的にも物理的にも準備することができますので、

不測の事態が起ころうとも乗り越える可能性は圧倒的に高まると思います。

あくまでの可能性の話ですが。

このわずか75年の間に何度の「予期せぬ出来事」が起こり、その度にパラダイムが変化してきたのか?

を考えれば、これからも現象は異なれど、「予期せぬ出来事」が起こり続けるものだと私は思いますので、

悲観的準備、楽観的対処

の精神で生きていきます。

 

一方で、人間が持つとてつもない力に感動もしました。

焼け野原だった1945年から「たった3年後」には、「NHKのど自慢大会」が開催されていたそうです。

「たったの3年」ですよ?

6年後の1951年には、ベネチア国際映画祭で黒澤明監督の「羅生門」が金獅子賞を受賞。

翌1952年には、アカデミー賞外国語映画賞を受賞。

焼け野原から、のど自慢が3年。ベネチア国際映画祭で最高賞を受賞するまでに7年。

凄くないですか?

だって、

3年前の自分は一体何をしていたのだろうか?

7年前は?

って、ちょっと考えただけでも怖くなりませんか。

少なくとも私は、これほどの変化を遂げることは出来ていません。

今の私の変化率は、当時の「日本人」のそれの足元にも及びませんよ。

「やべー、もっとやらねば!」とケツを叩かれました。

 

ボーッとしていようが、一生懸命駆け抜けていようが、等しく時は淡々と過ぎ去っていきます。

1分は何をしていても、1分です。当たり前ですが。

でも、当時の日本人と、今の私とを比べた時に、変化率では、圧倒的な差が生まれています。

これは厳然とした事実です。

それは何から生まれているのか?

間違いなく言えることは、

意識の差

だと思います。

その意識が、時間の密度を増幅させるのだと思うんですよね。

だから、成果に差が出るんです。

 

ドラッカースクールのJean Lipman-Blumen先生に曰く、

このコロナは、第二次世界大戦よりも、大きな歴史的な出来事だそうです。

そんな歴史的大転換の中で、どれほどの変化率で生きることが出来るのか?

戦後の日本に負けないほどのそれを見せることが出来るのか?

まだまだ全然足りないっすね。もっと、やらなきゃいかんですよね。

ボーッとしている暇なんてないのです。
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【今日のうねり】
この100年時代、その時間軸で考えれば、予期せぬことが起こりまくるのが人生だということが分かる。
事実、わずか75年前に、栄養失調も家父長制も、そもそも戦争も、当たり前のように起こっていたのだから。
悲観的準備と楽観的対処。これは忘れてはならないのだろう。
その当時の日本人の変化率は激烈だった。
変化率の差は何から生まれるのか?
それは、意識だ。
意識によって、時間の密度が変わるので、その結果、同じ投下時間でも得られる成果が大きく変わるのだ。

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