なぜ、「超絶地味な」日々の行動に心が折れるのだろうか?

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令和2年9月27日  今日もクルクル通信769号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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イソップ寓話に、有名な「レンガ職人の話」があります。

おさらいをしておくと、こんな話です。
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ある街に3人のレンガ職人がいました。

彼らは、「町に教会を建てる」という同じ仕事をしていました。

ある旅人が、彼らに、「なにをしているのですか?」と尋ねました。

すると、ある職人からはこんな答えが返ってきました。

「レンガを積んでいるんだよ。」

しかし、別のレンガ職人は、

「教会をつくっているんだよ。」

と答えました。

そして、最後の職人は、こう答えました。

「歴史に残る大聖堂をつくっているんだ」
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このメッセージは、

目の前の行動をどのレベルで理解するのか?

によって、行動の精度も意識も、モチベーションも、アウトプットも変わる。

です。

あるいは、

より上位の目的を部下に付与できるか?

これが部下の行動を促すうえで大切。

とも、捉えることができ、「ラダー効果」の例え話としても紹介されることもあるようです。

部下が理解していることが、

その行動そのものだけなのか?

あるいは、

目的までを理解しているのか?

はたまた、

意味までを理解しているのか?

によって、行動も成果も変わる。

このように、ラダー的意識づけが組織においては重要ということだと思います。

実際、より上位の意味や全体感を理解をしていた方が、パフォーマンスが上がることは間違いはないでしょう。

私自身を振り返ってみてもそう思います。

その昔、資料作りをしこたまやっている時期がありました。

いわゆる「コピー取り」作業です。

今は、デジタル化が進んで、ほぼ見かけないものかもしれませんが…

例えば、競合プレゼンの資料のコピー&クリッピングです。

プレゼンの前日、1セット100枚の提案資料を20セットとか、深夜に作っていましたからね。

あるいは、週次の部会の資料作り。

いずれの作業も、

「資料の端がずれていないか?」丁寧にクリッピングすることを心がけていました。

万が一、端の揃っていない資料を受け取った人が、それだけを見て、

「いい加減な人たちだな」

って、悪い印象を持ったとしたら…

それだけでプレゼンの勝敗を決することがあったとしたら…悲惨だよな。

資料のクリッピングで勝敗が決することがあるかも?

そう思ったら、単なる作業になんてできません。

超ミクロな話ですが、これも、上位の目的を理解することで、「コピー取りををコピー取り」で終わらせなかったってことだと思います。

今、自分の取っている行動が、組織全体の中でどう位置付けられるのか?

を考えることは、めちゃ重要なのです。

 

そして、この意識は、組織人としてだけではなく、個人においても同じように重要です。

なんせ、一人の人間が1日に取っている行動って、

地味

ですからね。

いつも通りの、変哲もない日常の繰り返しじゃないですか。

毎日、NHKの朝ドラみたいにドラマティックな出来事が起こるなんてことはないと思うのです。

私の毎日も、超絶地味なルーティーンで塗り固められています笑

でも、その地味な行動が、さほどの苦労もなくできるのは、

それが何に繋がっているのか?

ビッグピクチャーが見えているからだと思います。

完全に輪郭を表わしている訳ではないですけど…

曇りの日に、東海道新幹線の車中から、うっすら見える、富士山くらいは見えているから、

「あそこを目指して頑張ろう」という気持ちになれるのです。

逆に言うと、ビッグピクチャーがおぼろげでも見えていないとしたら、

日々の行動が地味すぎて続けられません。

1,000ピースのパズルも、完成図が分かっているから頑張れます。

ガンプラも完成形を知っているから、作り切れます。

もし、それを知らなかったとしたら、間違いなく作り切れないと思うんですよね。

途中で折れるますよ。大変すぎて、細かな1パーツを埋めるのが地味すぎて。

それと同じようなものだと思うのです。

 

でも、その自分が掲げる目標に対して、日々の行動が地味すぎて、

そのギャップに耐え切れずに、心が折れる

ってこともよくあることだと思います。

たぶん、そんな時は、掲げる目標が、ビッグピクチャー過ぎるんだと思います。

うっすらどころか、大雨の日の富士山のように、全く見えていないのではないか?

って思うのです。

そこに、リアリティーが一切持てないから、日々の行動とのギャップがデカすぎるんだと思います。

だとしたら、

そのビッグピクチャーを、もう一段階細かく刻んで、うっすら見える、ミドルピクチャーをセットし直す。

のが良いと思います。

はっきり山頂が見えるようなスモールピクチャーはダメですよ。

「目標は手を伸ばしてつかもうとするもので、最初からつかめる所まで下げたものを目標とは言わない」

のですから。

いや、うっすら見えるかどうか?くらいがちょうど良いのです。

だから、ギリギリで?目の前の超絶地味な、超具体的な日々の行動を続けることができるのです。

うっすら見える、抽象的なピクチャーと、超具体的な日々の行動と。

その行き来が、できること。

これこそが、個人のマネジメントができるかどうか?

において、重要なことなのかもしれません。
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【今日のうねり】
目の前の行動をどのレベルで理解するのか?
これが適切にできるかどうか?が組織人としても個人としても、マネジメント能力を決定づけるのだ。
自分の掲げるビッグピクチャーと、それにたどり着くための日々の行動の地味さと。
そのギャップに耐えうるかどうか?
が、続けられるかどうか。を決めるからだ。
うっすら見えるかどうか?手が届くかどうか?
その微妙な目標を掲げ、日々行動することができるか。
この抽象と具体の行き来ができることが、セルフマネジメント力の要諦になるのだ。

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