「あの人、批評家なんだよね」って言われないために。

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令和2年11月14日  今日もクルクル通信817号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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論理的思考

なんて大層な話ではありませんが、

頭から最後まで一気通貫して、矛盾ない話ができるかどうか?

これは、ビジネスパーソンにとって大事なことです。

というか、ビジネスパーソンだけではなく、全ての人にとっても大事ですよね。

これを磨くために最も有効な方法は何か?

文章にして書くこと

ではないかと、思います。

文字にして「アウトプット」をするということです。

話すことによってアウトプットをすることもできますし、それでも十分にこれを磨くことができるとは思います。

ただ、800日以上毎日、ブログを、しかもベース作りは音声入力で書き続けて、

「書くこと」と「話すこと」ではその負荷に10倍ぐらいの差があるのではないか?

と感じております。

もちろん、書くことをしないで、話すことオンリーでも、とてつもなく、これが優れた人もいるとは思いますが、

そういう人は、人前で話している回数が尋常ではなく多いのではないか?と思います。

人まで話すことを繰り返している中で、

「あれ?こことさっきのところって矛盾してね?」

とか、

「この話の展開って、ちょっとずれていない?」

とか、

「実は、こうではなく、ああなんじゃないか?」

なんて、気づきが生まれ、修正する。

その過程の中で、より思考も深まり、論理の一貫性を保つ力が鍛えられていくのだと思います。

いずれにしても、アウトプットをする回数がとても多いのです。

 

一方で、これらの「書くこと」や「話すこと」というアウトプットに対して、

「見ること」や「読むこと」という「インプット」があります。

例えば、ニュースを見る、ドラマを見る、ドキュメンタリーを見る。

SNSを読む、WEB記事を読む、書籍を読む、雑誌を読む。

この「アウトプット」と「インプット」、どちらの方が多いのでしょうか?

圧倒的に、「インプット過多」と言う人が多いのではないかと思います。

人によってはアウトプット:インプット=2:8

という人もいるかもしれません。

私個人で言えば、毎日ブログを書いていますし、仕事柄、日々書いて整理をしたり、人に話をさせて頂くことが多いので、平均すると、

アウトプット:インプット=1:1

だと思います。(もちろん、日によっては、2:8みたいなこともありますが)

 

当然、インプットをすれば何かしらの感情や考えが浮かびます。

「これ、おかしくないか?」

「これは共感できる。このように書いてあるけど、私はこう思う」

「こういった考えもあるのではないか」

などなど。

なので、日々インプットをしているので、それを「批評する力」は磨かれていると思います。

しかも、一般的に我々が触れる文章は、その世界のプロフェッショナルが書いているものですから、

冒頭書いたような、

一貫性が保たれていない。つじつまが合っていない。文章を読むことはありません。

なので、整合性の取れた話を何か?ということも無意識のうちに理解ができています。

ところが、仕事になると、そういった、整合性の取れた文章だけを目にするというわけでありません。

その道のプロではないですし、その完成度も読む段階によってマチマチですから。

なので、そういった論理的ではない文章や話に触れた時に、多くの人が

「それ、おかしくない?さっきのところからずれていない?」

とか

「これ、これとさっきの話って、関係なくない?」

とか

鋭く、正確に指摘できるんですよね。

でも、

「そこまで言うなら、あなたが書いてくださいよ。話をして下さいよ」

と言われたときに、実際にそれが出来るかどうか?これは全く別の話なんですよね。

間違いなくインプット過多な生活を送ってきた人は、これができない。

真っ白なワードや、パワポを目の前にした時に、フリーズします。

実際、私自身もそうでしたし。

書く、話すといったアウトプットをするトレーニングをしなければ、できるようにならないんですよね。

「あの人、言っていることは正しいし、鋭いんだけど、行動は出来ないんだよね。批評家。」

なんてことを言われないように、アウトプット過多な生活を目指す。

頭で考えたことを話してみる。書いてみる。

それを続けていると、自然に、

「頭から最後まで一気通貫。矛盾ない話ができる」ようになるのです。
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【今日のうねり】
一貫性のある話ができるようになるには、アウトプット過多な生活を送るのが一番だ。
アウトプットとは、書くこと。話すことだ。
でも、実際は、インプット過多な人が多いのだろう。
見ること、読むことが中心。
もちろん、それによって、一貫性のある話とは何か?は無意識に誰もが理解できている。
なぜなら、我々が触れる、それらのものは、そのプロが書いたものだから。
それを日ごろから見ているので、誰もが矛盾がある文章を目にすると、激しく批評ができる。
では、そういうひとが、矛盾のないアウトプットができるのか?
というと、またの別の話だ。
出来ないこともあるだろう。その手の人は批評家と呼ばれる。
そうはならないように、アウトプット過多で行くのだ。

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