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令和2年11月26日 今日もクルクル通信828号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「優しさは力の中にある。力なき優しさは、ただの同情にすぎない」
という恩師・加藤昭先生の言葉を昨日ご紹介しましたが、今日も続けます。
加藤先生は、大学受験の時に通っていた、「ウイニング」という英語塾の先生です。
塾と言っても、先生は加藤先生だけ。
テキストなどの教材は全て、加藤先生の手描き。完全オリジナル。
0から100まで、加藤先生が作った、加藤塾でした。
加藤塾だから「勝とう!」で「ウイニング」という名前です笑
加藤先生は、私が生まれて初めて出会った「カリスマ」でした。
そして、「言語を操る達人」でした。
「カリスマ」だと感じた理由は、
受験英語を教えてくれたというよりも、むしろ、その授業を通して、
「人としての在り方、人としての生き方」を指南してくれたから。
だと、今では、というか、「今」思いました。
当時はそんなことは気づいていませんでしたが。
私のセボネに刻まれている、いくつもの「加藤先生語録」があるのですが、もう一つだけ挙げさせて頂きます。
「無知は罪」
です。
「無知は罪。知は力。良く学ぶように」
と仰っていました。
この話の時は、必ずセットで、「なぜ、これを思うようになったのか?」という話をして下さいます。
それは、
医師の診断ミスで奥様が死にかけた。
そんな話でした。
本当に何でもない、人的な「凡ミス」によって、奥様の命が危険にさらされた。
幸い、一命は取り留めることができ、無事に回復。最悪の事態は避けることができたのですが、本当に危なかったそうです。
で、その原因は、単なる、担当医の知識不足にすぎなかった。
らしいです。
以来、その先生は、「無知は罪」だと強く思うようになったそうです。
同時に、「凡ミス=ケアレスミスだけはダメ」という信念も持ったようです。
一瞬逸れますが、ケアレスミスに対しては、途轍もなく厳しかったです。
こんな感じでした。(今じゃ、絶対ありえないですけどね笑)
毎年、12月30日から1月3日に合宿がありました。
1日2回のテストがあり、ここで、ケアレスミスによる、失点をすると、先生にシバかれるんですよ。ガチで笑
あのケアレスミスをしてしまった時の恐怖。思い出しただけで、寒気がします。
この「無知は罪」と、「優しさは力を中にある」という話は、私の辞書にはセットで収録されています。
先生は、この二つの話を別々にしていましたが、私の中ではワンセットなのです。
無知は罪。
「知識がない」は「力がない」ことと一緒。
力がなければ、人に優しくすることなんてできない。
できるのは同情だけ。
でも、同情は人に役に立たない。ただの有難迷惑でしかない。
「人の役に立ちたい=人に優しく出来るようになりたい」と願うのであれば、力をつけるしない。
その力の根幹には、知識が欠かせない。
と、理解(解釈)をしているからです。
まあこれは、私の勝手な解釈なので、加藤先生が意図したものかどうか?は分かりませんが笑
でも、何でも良いんですよね。
言葉やメッセージは、その受け手の解釈によって、変化するものですし、
何より、20年経っても、私の心にこれらの言葉が刻まれているんですから。それで良いのです。
でも、本当に「無知は罪」ですよね。
自分の信じて下さっているお客様に対して、それに見合うだけのサービスを提供できていない
ということでもありますからね。
自分のお客様にとって、「これがベスト」だと提案し、実際に、それをお買い上げいただいているにもかかわらず、他にもっといいものがあった。
なんてことがあったとしたら、ほんと罪じゃないですか。
そこに投じたお金も時間も無駄になる。
ほんと、有難迷惑。いや、有難くも何でもない、単なる迷惑です。
そんな迷惑をかけたくないと思うのであれば、やるしかないんですよね。
学び続けるしかありません。
知識をつけ、力をつけ続けるしかないのです。
日々、弛まず、それをやり続けていると、実際に力が付いてくる。
力がつくから自分を信じることもできるようになる。自信も生まれるのです。
さらに、学ぶ。さらに力をつける。
こんなサイクルを続けてさえいれば、きっと「優しく」なれるのです。
「強く(タフで)なければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」
という、映画「プレイバック」の名セリフもありますよね。
強く優しくあるために、日々学び続けるのです。
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【今日のうねり】
「無知は罪」。「優しさは力の中にある」のあるのだから、知識を蓄え、力をつけたものだけが優しさを手に入れることができるのだ。
「強くなければ生きていけないし、優しくなければ生きている資格がない」というセリフもある。
優しく、強くあるためには学び続けるのだ。