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令和2年12月8日 今日もクルクル通信840号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日、アイリスオーヤマ会長、大山健太郎さんの
「そもそもビジネスは面倒くさいことにこそチャンスがある。面倒くさいことは誰もやりたがらないから」
や
「効率化って、目先の手離れの良さを追求することなのか?本当の効率化はその先にあるのではないか?」
や
「険しくて高い山を見た二人の近江商人の話」
などを書きました。
今日も続けます。
結局、これって
認識
の話なんだと思うのです。
目の前に起こったことをどうとらえるのか?
言葉に触れた時に、それをどうとらえるのか?
それによって、事態は大きく変わるのですから。
「そもそも仕事は面倒くさいもの。でも、その先にチャンスがある」という認識を持っているならば、
面倒くさいことに直面した時に、
「これを乗り越えれば、何かあるんじゃね?」って、踏ん張ることができます。
一方で、この認識を持っていなければ、
「なんだよ、このくそ面倒くさいやつ。やってらんねー。やめよ。いいことないもん」
その場で諦めてしまいます。
後者は、近江商人の話で言えば、Aさん方向ですよね。
高くて険しい山より、低い方がいいよね。上るの大変。「やめよ」って思ってしまう。
効率性の話で言えば、
「効率の良さ=目の前の仕事が楽になること」という認識ならば、
そればかりを追い求める結果、大して効率的でないことばかりを積み上げてしまうこともあります。
一方で、効率性とは、目先のラクさがではなく、将来大きな果実を与えてくれるもの。仮に目先が大変であったとしても。
という認識であるならば、敢えて目先が面倒なことにチャレンジすることになるでしょう。
いずれにしても、同じ現象、事態に直面しているにもかかわらず、認識が異なるだけで180度、世界の見え方は変わってしまうんですよね。
それによって、取る行動も、得られる成果も全く変わってしまうのです。
行動の起点になるのが認識なのですから、その重要性は言うに及ばずです。
認識の話で言うと、「裸足の国のセールスマンの話」も有名ですよね。
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靴のセールスマンが2人、南太平洋の孤島を訪れた。
目的はもちろん、靴を売ること。
でも島民を見るとみんな裸足。
そこでひとりのセールスマンはすぐ会社に電報を打った。
「とんでもないところへ来ました。我々にはまったく用がありません。誰も靴を履いていないんですから」
ところが、もうひとりのセールスマンは興奮した様子で会社にこんな電報を打った。
「ここはすばらしいところです。島の人間は靴を履いていません。これならいくらでも靴が売れます」
Aというセールスマンは私の国に行った時に、
この国は90を誰も入っていないので、靴は売れないと思います撤退しますと上司に報告した。
一方、Bというセールスマンは、
この国は誰も靴を履いていない、はいてもらうことさえできればめちゃくちゃ大きなビジネスチャンスになります。
と報告しています。
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ってやつですね。
これだって、まさに同じ事態に直面しているのに、認識が違うだけで全く別の行動をとってしまう話です。
「どちらが良いのか?悪いのか?」ということはありません。
ただ、「人は自分の認識に縛られて生きていること」は事実です。
そして、多くの場合、自分が「どういう認識をしているのか?」ということは、自分では気づくことが難しいんですよね。
なぜなら、自分の認識が前提となっているから。
でも、できることなら、その認識がどういうものなのか?ということを理解したいですよね。行動に幅が出ますから。
では、どうしたら良いのか?
それは、自分の外の世界に出ていくしかない
と思います。
外に出て色んな人と出会い、話をし、様々な認識に触れる。そこで、ビックリマークが立ち、自分との違いを感じる。
それを繰り返す中で、
「あー、自分ってこういう認識でいるんだな」ってことが見えてくるのだと思います。
そういった行動なくして、自分の部屋に閉じこもっていたとしたら、それに気づくことはできません。
認識って、気づくことが難しい「枠」みたいなものだと思います。
「エレファントシンドローム」の鎖みたいなもので、一度縛られてしまうと、自分で出ていくことができないのです。
人と出会うことで、それを破壊していくしかないのです。
Zibaの濱口さんが、ちょうど昨日、こんなツイートをしていました。
選択の法則。
AかBかの難しい二択に出くわしたら、AでもBでもないCを考えてT字路を十字路に変える
カッコよすぎるのは一旦おいて笑
十字路にできるかどうか?は、認識の広さ次第。
枠を取っ払うべく、外に積極的に出ていくのです。
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【今日のうねり】
ある事態に直面した時に、それをどうとらえるのか?その認識によって行動も成果も全く別のものになる。
行動の根幹になるのが、認識。だからこそ、これはめちゃ重要なのだ。
自分の認識を自分で気づくことは難しい。でも、知っておいた方が良い。幅が広がるから。
それに気づくには、外の世界に出ていくしかない。多種多様な出会いの中で、多種多様な認識に触れることで、
その枠が見えてくるのだ。外へ出ていくのだ。