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令和2年12月13日 今日もクルクル通信845号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「君は天然色」
という、2013年に急逝された、「大瀧詠一」さんの楽曲があります。
昨日実家に帰り、車を運転しました。
目的は、柏原先生による、歯のチェック。だったのですが、
車内のBGMに大瀧詠一さんのアルバムをチョイスすると、一曲目が、この曲でした。
この「君は天然色」は、去年の山下達郎さんのライブツアーで、「大瀧詠一さん7周忌なので」と歌っていた曲でもあります。
そのライブも最高でしたが、久しぶりに聞いた、大滝さんもやっぱり素晴らしかったです。
で、そのライブのMCで、こんな話をしていました。
その昔、達朗さんが、大瀧詠一さんとカラオケに行った時に、この「君は天然色」を歌った。
すると、大滝さんが、
「お前は俺に声(歌い方?)が似てるなー、この曲、お前にやるよ」
って言った。
って。
久しぶりに大瀧詠一さんのアルバムを聞いてみると、このエピソードが思い出され、
確かに声が似ている。声というか、歌い方が似ているかも?
って思ってしまいました。
でも、達朗さんは大滝さんのことを
「兄みたいなもの。声もよく似ておりますし、何代か前は、どこかで親戚だったんじゃないか」
なんて言うほど慕っているんですよね。
おそらく大変な影響を受けていると推測します。
私のような素人には分かりませんが、たぶん、歌い方だけでなく、声の出し方とか、息継ぎの仕方とか、楽曲の作り方とか、色々な部分を参考にされているのではないでしょうか?
いや、達郎さんくらいの音楽マニアとなると、大瀧詠一以外からもパクっていますよね。
「音の職人」ですから。
例えば、
ギターの弾き方は、ビーチボーイズのカール・ウィルソンで、アカペラは〇〇で、曲の作り方でも、〇系は××さんで、〇〇系は×××さんで。
といった感じで、超ハイブリットでパクっている可能性が高いですよね。
いずれにしても、見て聞いて、パクって今の自分を築かれているのではないか?と思うのです。
「見て、聞いて、パクって、学ぶ」という観点で言えば落語に勝るものではないか?と思います。
たしか、落語の稽古って、師匠の前で正座をして、その話を聞き続ける。
「やってみなさい」と言われたら、それを真似する。
特に筋書きが書いてある「教科書」みたいなものはなく、ひたすらこれの繰り返し。
って、聞いたことがあります。(間違っていたらごめんなさい)
この稽古の中で、噺を覚えることはもちろんのこと、師匠の声の出し方、息の継ぎ方、上下の切り方、扇子の使い方。上方落語であれば、台を使った場面の切り方。など、ありとあらゆるものを徹底的に真似し、噺家としての基礎を身に付けていくのだと思います。
まさに、「真似るは学ぶ」そのものですよね。
過去何度も書いてきているように
真似る。パクるに勝る学び方はない。
と思っています。
今でも、パクることばかりを考えていますし、実践しています(お金やモノじゃないですよ笑)
例えば、このブログも鮒谷さんの影響でスタートしました。
テーマや書き方だけでなく、
毎日必ず書く
ということまで、とにかく見様見真似でやってきました。
鮒谷さんの6000号に対して、私はまだまだ800号。たったの1/10です。
でも、日数が経つにつれて、
「あっ、これってこういうことなんじゃないか?」
「こう書いた方が良いんじゃねか?」
「あの時、おっしゃっていたことって、これか?」
「そもそも毎日書く意味って、これにあるんじゃね!」
って、自分なりの気づきや発見が増えているのも事実です。
1年前には気づくことができなかったことも沢山あります。
その「私の気づきが正しいかどうか?」はさておき笑
まずは行為だけを真似をする。
それをし続けることで、意味や気づきの発見がある。
これに一定の真理があるとしたら、「真似るは学ぶ」本質は、
外側の真似を通して、その内側に在る論理を理解すること。
その上で、その論理を自分なりに解釈すること。
にあるのではないか?
そんなことを思うのです。
もちろん、外側のマネだけでも、成果は上がるとは思いますが、その内側の論理までも理解することができたら、
その成果はさらに爆上がりするのではないか?
と思うのです。
だって、
なぜそれをしているのか?という行動「原理」までも理解することができる
のですから。
その原理が、超お宝。学びの核。
なんだと思うのです。きっと。
砂山の中で、宝探しをしていて、「見つけたぞー!!」ってやつです(イメージ)
なぜなら、その原理は、普遍性の高いもの。超波及効果の高いものですから。
どうせ、真似るのであれば、ここまで徹底的にやりたいものです。
むしろ、これが欲しく、パクるんです。
どうせ学ぶなら、外側の行為だけではなく、内側の論理まで。
これを忘れることなく、パクり、行動し続けて行くのです。
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【今日のうねり】
真似る。これこそ究極の学び方だ。
この学び方においては、まずは、外側の真似から入るしかないが、それを続けていると、必ず、気づきや発見がある。
その中に、「なぜ、この行動をしているのか?」という行動原理があるはず。
その行動原理こそが、
ここまで発見することができてこそ、この真似るは学ぶの意味があるのだ。
なぜなら、それが波及効果が高い。学びの核だから。
それはもちろん簡単に見つからないので、地道に毎日行動し続けるしかないのだ。