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令和3年1月6日 今日もクルクル通信869号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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哲学の本を読んでいます。
タイトルは、「人は語り続けているとき、考えていない 対話と思考の哲学」です。
この書籍は、2019年の最後に、師事している鮒谷さんから、オススメ頂いたものです。
ご紹介を頂いた当初、早速読み始めたのですが、どうも、読み進めることができず、止まっていました。
(鮒谷さん、申し訳ございません)
なぜ、読み進められなかったのか?その時の理由を正確に思い返すことは難しいんですけれども、
余裕がなかった
ということが大きな理由なんではないか?と今読み直して思います。
実際、今読み始めてみると全然前に進まないんです。
生まれてこの方、この手の哲学の本をほぼ読んだことはありません。
ですので、この世界に対する知識が全くないんですよね。
あるジャンルの本を読むうえで、その世界における知識があるかどうか?は基礎体力に直結します。
基礎体力があれば、その世界も、語られている内容も理解が進みます。
結果的に、読む「スピード」も出すことができます。
でも、その読書を支える基礎体力がない場合は、とにかく内容理解に時間がかかります。
一つの段落を読んでいる最中も、
「あれ、これってどういう意味だっけ?」
とか、
「「二つ目の意味で言えば」って書いてあるけど、それってなんだっけ?一つ目は?三つ目は?」
とか、頻繁に読み返すことになります。
読み返している頻度でいえば、例えば、宮城谷昌光さんの中国歴史小説を読んでいるときよりも多いかもしれません。
中国の歴史小説って、登場人物が多くて、しかもその名前の読み方がわからないことが多いじゃないですか?
それが、「これ、なんて読むんだっけ?」って、初出のルビが振ってあるページに戻ってしまう。
あんな感じです。
まあ、今回は「文字が読めない」ではなく、内容がすーっと身体に入ってこないから読み返しているので、その理由は大きく違いますけれども。
と言いますか、「基礎体力がないと、スピードが出ない」と書きましたが、そもそもスピードが出せることに意味があるのでしょうか。
私自身が、「早く、沢山本を読むことに意義があると思ってしまっている」のかもしれない。
これも問題じゃね?なんて思ってしましました。
一瞬逸れてしまいましたが、
いずれにしても、基礎体力もない新しいジャンルの読書は、内容理解にも時間がかかってしまうのです。
でも、年末年始で時間に余裕があったので、読み進めることができました。
読めば読むほどに考えさせられることが多くなります。
執筆者の論理構成にも意識が向かいます。
自分が触れたことをない世界だから、新しい刺激が入ります。
分かることも分からないこともあり、頭に結構な負荷がかかりました。
なので、読んでみたものの、「こんな気づきがありました!」とか、サクッと書けるほどの理解が及んでいないのも事実です笑
とはいえ、こんなことができるのも、時間があったからなんですよね。
時間があるからその脳内負荷を楽しめる余裕もあるんだと思います。
時間の有無。余裕の有無。は、新しいことをチャレンジする場合は、めちゃ大切な要素なのです。
これは、何も読書だけではありません。仕事においてもそうですよね。
新しい仕事をする時は、新しいお客様、新しい仕事仲間に出会い、その世界のありとあらゆる基礎知識などなど、学ぶことが沢山あります。
分からないことだらけな状態になりますので、余裕がない中で、これをやるのはかなり危険です。
下手をすると、新しいことができないだけでなく、すべてが総崩れ。なんてことも起こりえます。
だとすれば、
新しいことは二つ以上を同時に始めてはならない。新しいことは一つずつ。
欲張らずに一つずつを確実に仕留める方がよいでしょう。
これは、「事始めの原則」とも言えるのかもしれません。
読み慣れていない、哲学の本と格闘しながら、時間という資源の大切さを改めて感じる、この年末年始。
人生の成果を決するその時間という貴重な資源をどう配分するのか?
よくよく考えて、大切に使わねばもったいない。そんなことを改めて思うのです。
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【今日のうねり】
新しいことをチャレンジするには、時間や余裕が必要だ。
それがないと、取り組むことができない。
新しいチャレンジは、多くの時間を必要とするので、同時に二つ以上投入するのは危険だ。
結果的に、一つもなしえないこともありうるから。
新しいことは二つ以上を同時に始めてはならない。新しいことは一つずつ。
これは、「新しい事始めの原則」とも言えるのだ。
時間という貴重で希少な資源をどう使うのか?これが人生を決するのだ。