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令和3年1月12日 今日もクルクル通信875号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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小学生の時から新聞を読んでいたらしい。いや、読まさせられていたらしい、です。
そんな記憶は一片もないのですが、25年ぶりに小学校の担任の先生の文章を読んで、そのことを知りました。
新聞をテーマに作文を書いていたことも、覚えていなかったですし、本当に記憶とは曖昧なものです。
新聞で真っ先に思い出されることは、大学生時代のことです。
ラクロスの練習に向かう、6時渋谷発の東横線の中で、毎朝新聞を読んでいました。
読んでいたのは、「1日遅れ」の新聞でした。
当時は、父親がその日の新聞を持って出勤していましたから、前日の新聞を読んでいたというわけです。
別に大学生なんて、その日の新聞である必要もありませんからね。
それが習慣になったのは、大学2年生以降のことで、ゼミの先生に「新聞でも読んだら?」と言われたことが契機なんじゃないかと思います。たぶん。
読んでいたのは、日経新聞。「私の履歴書」や社説、「経済教室」などのコラムが中心でした。
一応、経済学部生だったので、金融面や経済面も見ていましたが、そこまで興味があったとは思えません。
どうやら新聞の読み方は、当時も今もほとんど変わっていないようです。
就職活動の時に、「社会に出たら、日経新聞を読むのは基本だよ」と、OB訪問をした先輩が、言っていましたが、
何の抵抗もなく、それを受け入れることができたのも、一日遅れの新聞習慣があったからでしょう。
「小学生の読まされ経験があったから」なんて言うと、さすがに、言い過ぎですが。
ただ、「活字を読む」という習慣は、通学時に身につけたものであることは疑いようがありません。
小学校1年生の時から電車通学でしたが、当時、電車の中でできることは、外の景色を眺めることか、本を読むことしかありませんでした。
あっ、「中づり広告」を読むという楽しみもありましたね。
さすがに、景色を見ることも中づり広告にも限界があるので、結局、読書に行き着きました。
今では、「小学生のスマートフォン所持率は50%を超えている」なんて話を聞いたことがありますが、スマホなんてなかったですからね。
読書好きを決定づけたのは、江戸川乱歩の「怪人二十面相」(青い鳥文庫)です。
たぶん、読んだのは小学校2年生の時だったと思います。
明智小五郎が二十面相にさらわれるシーンに、ハラハラ・ドキドキしたことは今でもはっきり覚えています。
毎日、往復30分は電車に乗っていました。
振り返ってみれば、最低毎日30分、読書の時間を「天引き」できていたことは、めちゃくちゃ貴重なことだったと思います。
まぁ、本だけでなく、ジャンプ、サンデー、マガジンといった週刊誌に加えて、単行本も友達と回し読みをしていましたが。
いずれにしても、「移動するときは必ず本を持っていく」という習慣が小学校低学年の時に、出来上がっていたことになりますから。
<怪人二十面相>以降で、記憶に残っている作品を強いてあげれば、
中学生の時の読んだ、司馬遼太郎の<竜馬がゆく>と浅田次郎の<蒼穹の昴>。
この二作品でしょうか。
あまりの面白さに電車のみならず、家のベッドの上で、睡眠時間を削って読んだと記憶しています。
のめり込んだ度合いで言えば、<蒼穹の昴>の方が上だったかもしれません。
当時はまだ文庫が出る前で、父親の本棚にあった、単行本を読んだと記憶しています。
さて、冒頭に書いた、担任の先生の文章には、私たちに、新聞を読ませた理由が、
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文字を読む力や文章を読む力を伸ばすという目的もありますが、いつも話していたように、世の中の動きに敏感になって欲しい、これからの社会がどうなっていくのかをしっかりと見極めて欲しい、という期待がありました
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こう書かれていました。
この時の経験が契機になっているかは分かりませんが、お陰様で、活字も大好きで、それなりに社会の動静に少しは敏感になれていると思います。
「connecting the dots」というと、大袈裟ですが、25年以上ぶりに小学生時代の文集を読み、過去の経験と今の自分をつなぐことができました。
その繋ぎ方が合っているのかどうか?は分かりません。
と言いますか、そもそもそんなことは誰にも分かりません。
自分が好きなように、自分が元気になるように、勝手に経験をつないでしまえばよいのです。
過去は変えることはできませんが、解釈はいくらでも変えることができるのです。
一人一人が自分自身の人生の主人公。
恩師・加藤先生が、こう仰っていましたが、これからも、自分の物語のど真ん中を歩いていくのです。
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【今日のうねり】
過去を振り返ることは時には大事なことだ。
自分にエネルギーを与えてくれるのだから。
過去は変えることはできないが、その解釈はいくらでも変えることができる。
その解釈や経験をどのようにつなぐのか?ということに正解などはないのだ。
自分の都合の良いように、自分が元気になるように、好き勝手に解釈をしてしまえばよいのだ。
一人一人が自分自身の人生の主人公。
自分の物語のど真ん中を堂々と歩いていくのだ。