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令和3年1月17日 今日もクルクル通信880号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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コップで水が飲めるようになる。
トイレでおしっこができるようになる、うんこができるようになる。
スプーンやフォークで食事ができるようになる。
服が着れるようになる、脱げるようになる。
箸が使えるようになる。
三輪車に乗れるようになる(今はストライダー??)
補助輪付きの自転車に乗れるようになる。(ストライダーに乗れると、この過程が要らないらしいですね)
自転車に乗れるようになる。
逆上がりができるようになる。
縄跳びができるようになる。
いずれも幼いころにできるようになったことですよね。
そして、これらは、一度身に着けると、決して忘れることがないものですよね。
例えば、3,4年自転車に乗っていなくても、そのブランクを感じることなく、サクッと乗ることができますよね。
「体が覚えている」ってやつです。
では、子供に「自転車の乗り方を教えて~」って言われたとしたら、できますか?
「できます!」って即答できる人がいたとしたら、かなり凄いと思います。
少なくとも、私はできません。見当もつきません。
なぜか?
それは、「やって覚えたから」だと思います。
自転車の練習をしているとき、左右にフラフラして、転びそうな我が子を見て、親が言うことは、
「バランスとって!グラグラしないように!」
とか、
「そうそう、その調子!」
とか、
「交互に足を漕いで!」
「がんばれ!」
ぐらいだと思うんです。
つまり、励ましてはいるが、何も「教えてはいない」んですよね。
これ、高校サッカーを応援している、親と何にも変わらないってことです。
親の励ましを受けて、子供は、自分の感覚で、勝手に「自転車に乗る」ということを覚えていくんです。
なぜ、親が励ましオンリーなのか?
それは、乗り方について「言葉」で説明を受けたことがないから
だ思います。
たぶん、これに近いことって多いと思うんです。
トイレでのうんちもそうですよね。
親ができることってのは、せいぜい、便座に座らせることまで。
あとは、「踏ん張って。うんん!って」って言うくらいですよね。
箸の使い方も、その持ち方までは言葉で説明できても、あとは、箸を動かしている様子を見せて、
「こういう感じで動かして」って言ってるくらい。
結局、実際に自分で何度も何度も繰り返して、体で覚えているんですよね。
苦労して身に着けた、これらの方法は、簡単に忘れない。同時に、それを治すのは、めちゃ大変です。
幼いころに身に着けた箸の持ち方をずっと治せずにいる、大人が沢山いることがそれを物語っていますよね。
逆上がりもそうですよね。
できてしまえば、「なんだこれ」って感じですが、できるまでは大変。
じゃあ、「やり方を教えてくれ!」って言われたら、難しいですよね。
でも、これが「言葉で教えてもらえる」としたら、需要がありそうです。
だって、体でなんとなく覚えたことが、言葉で記述されているとしたら、苦労も時間も大幅に削減できますからね。
実際に、子供向けの「逆上がり教室」ってのは大人気らしいですね。後は、「かけっこ教室」も。ちょっとググれば沢山出てきます。
自転車や逆上がり、かけっこからよりも複雑な運動になると、一気に「方法」を教えるマーケットが拡大します。
例えば、水泳。テニス。野球(バットの振り方、ボールの投げ方)、ゴルフ教室。あるいは自動車教習所。
ここでは、これらを扱う方法を教えてもらうことができます。
教えてもらうことができるということは、それらの方法が言葉で記述されているということです。
言葉で説明ができるということです。
もちろん、箸や自転車と同じように、これらの方法を「実際にやって、体で覚える」という方法もあります。それでも習得することはできるかもしれませんが、結局は我流です。
その我流では、習得する時間も、長期的な視点で見た成果も、正しい言語で学んだ人よりは圧倒的に小さいでしょう。
それは「なんとなく」覚えたものですからね、限界がありますよね。
つまり、「なんとなく体で覚えること=言葉にすることが難しいこと」を言葉にできると価値がある。
ということです。
これは、何もスポーツだけではないですよね。ビジネスパーソンとして求められる、各種スキル(方法)もそうです。
例えば、伝わる話し方。お礼メールの書き方。仕事の進め方。話の聞き方。物事の整理の仕方。文章の書き方。
などなど。ありとあらゆる、「なんとなく」身に着けてしまったことを正しく「言葉にすること」にはバリューがあるんです。
事実、本屋さんのビジネス書籍コーナーに行けば、こんな類の書籍が無数にあるじゃないですか。
無数にあるのは、需要があるからですよね。実際、私もそれを買って読んでいますし。
私の師匠の皆様も、この力(言語化する力)が凄いんです。
例えば、私の考える力の師匠の高松さんは、「考える力」を言語し、それを伝授するサービスを提供しています。
そして、現役コンサルタントやコンサル志望者から絶大な信頼を得ています。
誰もが、「自分は考えている」と思っているかもしれません。
でも、「考えるとは何か?」って言葉にできている人ってほとんどいないですよね。
それを、言語化したから、バリューがあるんです。
あるいは、何度もここに登場している、鮒谷さんも、そうです。
人が変わる方法。よりよく人生を歩む方法。
「あんの?そんなもの」
「再現性ないっしょ。その人にカスタマイズされたものでしょ」
なんて、誰もが思ってしまいそうなことを、再現性ある形で、言葉にされています。
そもそも、言葉にすることが難しいにも関わらず、「それが、あるのかどうか?」も分からない方法を言葉にしているからこそ、バリューがめちゃあるのだと思うのです。
結局、方法を言葉にすることには価値がある。
しかも、一般的には、そんな方法ってないよね?と思われるようなことを言葉にできると、その価値が増幅される。
ということなだと思います。
まずは、言葉にする力(方法)を磨く。
そのためには、繰り返すこと。数多くのルートを開発すること。の二つが必要なのですから、
これからも、日々書き続けていきます。
目指せ、言葉を操る達人!
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【今日のうねり】
なんとなく身に着けてしまう、ありとあらゆる方法を言葉にできることにはバリューがある。
自動車教習所、各種スポーツ教室がそれを物語っている。
それが価値があるのは、何もスポーツ関連だけではない、ビジネスでもそうだ。
多くの人が、なんとなく身に着けてしまった、各種方法を言葉にできることができれば、それは大きなビジネスのチャンスにもなる。
いずれにしても、言葉を操る達人になることが出来れば、チャンスは拡がる一方だ。
だから、まずは、書き続ける。繰り返し&連想を兼ねそろえたこの方法こそが定着させる究極の方法なのだから。