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令和3年1月20日 今日もクルクル通信883号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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格子錯視
という絵を昨日見ていました。
「暇かよ!」って話ですけど…例えば、これです。
この絵の中に、円が16個あるというものですが、皆さんはすぐに見つかりましたか?
私は、なかなか発見ができませんでした。
でも、諦めずに眺めていると、ある時、急に円が浮かび上がってきたんですよね。
「おぉ、見える、見える、見える。キタコレ!」
内心けっこう盛り上がりました。
不思議なもので、1度見えるようになってしまうと、簡単に見えてしまうものなんですよね。
今まで気づかなかったのが不思議に思えてしまうほど、それにしか見えなくなります。
これは、だまし絵の一種なのかもしれませんね。
だまし絵ですと、「ルビンの壺」が有名ですよね。壺にも人の顔にも見える、というアレです。
だまし絵でも、格子錯視でも良いのですが、
見えなかったものが見えたときって、茂木健一郎さん風に言うと「アハ体験」の瞬間ですよね。テンションが爆上がりします!
最近で言うと、
<鬼滅の刃>のアニメのオープニングの柱たちの袴がガーターベルトにしか見えない
ってのがtwitter上で話題になっていました。これも同じ「アハ体験」かもしれません。
目(錯視)の話ではないですが、耳(幻聴?)の話でいえば、
「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」でお馴染みの「空耳アワー」が有名ですよね。
このコーナーを知ったのは小六の時でしたが、この番組と出会う遥か以前に、私は空耳アワー体験をしていました。
その楽曲は、ビリージョエルの「uptowngirl」。
冒頭の「uptowngirl」(0:11の箇所)が幼い私には、「ウォッ チン毛」にしか聞こえなかったんですよね。
この曲を聞くたびに、「ウォッ チン毛」と両親、兄に言いまくっていました。
どこまで本気だったか分かりませんが、かなり賛同をしてもらって、満足していたと記憶しています。
ただ聞く。ただ見るとは異なりますが、数学の補助線問題は一本線を入れるだけで、見えていた世界が一変しますよね。
そのまま見ているだけでは、全く分かんないんだけど、1本線を引いた途端に、一気に解法が見えてくる。
「なんで、こんなの気づかなかったんだ!」ってくらい簡単に思えてしまう。
これも、一本の補助線で「アハ体験」!空耳アワーとも、格子錯視とも同じと言えそうです。
我々が日々直面する問題も、これらと同じ部分があるのかもしれませんよね。
例えば、
ある方向からそれを見ていると、ピンチにしか思えなかったものも、別の方向から見た途端に、それがチャンスに思えてくる
ということがありますよね。
先日ブログで書いたような、私の友人の飲食店経営者がやったことなんてのが良い例です。
昨年4月に緊急事態宣言が出た当初、それはどう見たって、ピンチにしか思えなかったのですが、結果的にそれが、飛躍のチャンスになったんですからね。
実際に彼がこの言葉を言っていた訳ではないですけれども、
「これをチャンスにする方法はないのか?」
そんな問いかけ(言葉)を自らに与えていたみたいです。
でなければ、逆風を追い風に変えることなんてできるわけないですよね。
そうだとするならば、
言葉は、人生で直面する様々な問題を解く上での補助線になり得る
と言い換えても良さそうです。
実際、人生で出会ってきた「恩人」と思える人って、言葉を使って、直面していた問題や悩みを解くヒント、すなわち補助線を引いてくれてなかったでしょうか。
少なくとも、私はそうでした。
数学の補助線問題は、からっきしダメでしたが、人生で出会う問題は、言葉という補助線を巧みに使って、解き明かせるようになりたいもの。
そのために、書き続けていくのです。
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【今日のうねり】
錯視も幻聴も、一度、見えるように、聞こえるようになってしまうと、それにしか思えなくなるもの。
数学の補助線問題も、同じだ。たった一本の補助線で見えていた世界が一変するのだ。
人生で直面する問題の補助線になりうるものは、言葉だ。
どんな難問であったとしても、言葉一つで、見える世界がやっぱり一変し、ピンチがチャンスに様変わりするのだ。
人生の難問も美しく説いていけるように、言葉の達人を目指すのだ。