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令和3年1月29日 今日もクルクル通信892号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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こうたろう
という名前の作家とご縁があるようです。
このところ、沢木耕太郎さんにどっぷりハマっています。
きっかけは、先日夢にまでで出てきた「凍」です。
それ以来、「テロルの決算」、「一瞬の夏」を読んで、現在、「キャパの十字架」に突入しています。
沢木耕太郎さんといえば、「深夜特急」が最も有名かもしれませんが、まだそちらには着手していません。
このままどこまで「固め読み」をしてしまうか?は分かりませんが、どハマり中です。
こんなに固め読みをした作家さんは、過去にいたのだろうか?と振り返ってみたのですが、一人だけいました。
伊坂幸太郎さんです。
大学院に入学したばかりの頃、同級生が、ミクロ経済学やマクロ経済学などのタウンページみたいに分厚い英語の教科書を、喜々として読んでいる中、
それらを全く読まず(読めず)に、片っ端から彼の作品を読んでいました。
<陽気なギャングが地球を回す>、<オーデュボンの祈り>、<アヒルと鴨のコインロッカー>、<重力ピエロ>、<砂漠>などなど、当時刊行されていた作品はすべて読みました。
あの頃は、本当にブラブラしていました。「モラトリアム期」と言っても良いかもしれません。
ほぼノリで入学した大学院。
というか、別に就きたい仕事も、入りたい会社もなかっただけ。単なる学生生活の延命処置でしかなかったですね、今から思えば。
お父さん、お母さん、すみません。
しかも、その入学式の日に、
「あっ、これ俺、無理だわ。こんな奴がいるんだったら、やめた方が良いわ、研究者」
って確信させてくれる友人と出会い、その日に研究者の道も諦めました。(というか、そもそも望んでもいなかったんですが笑)
その友人は、今では東大の准教授!大活躍中です。
大学院って「研究が仕事」ですから、研究をしない(というかできない)奴って、マジで暇なんですよね。
単位取得のための授業はありますけれども、それも1週間に10コマもありません。
しかも、その講義で使う教科書もまるで分からない。課題は友人に丸写しさせてもらって何とか提出する。そんな有様でした。
唯一、そんな友人たちに貢献できたことがあるとしたら、試験前に、宅配ピザとか取って、みんなの買い出しの手間を省いたことくらいです笑
本当に、暇でしたね。
ただ、時間だけがありました。でも、遊ぶ仲間もいません。
大学時代の仲間は就職して遅くまで働いていましたからね。
平日の真昼間から空いてる奴なんていませんよ。
研究もわからん、金もない、やりたいこともない。時間だけがある。
まだスマホもなかったですから、本を読むくらいしかやることがありませんでした。
本を読みながらも、「こんなことしていて大丈夫かよ!」なんて焦る私に元気をくれたのが、伊坂幸太郎さんの作品でした。
世界観もそうなんですけど、メッセージがポジティブだったんですよね。
例えば、<砂漠>という作品で、西嶋が言うセリフに、
「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ。」
というのがあったり、
「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生は送るなよ」
っていう、卒業式での校長先生のメッセージがあったり。
前向きでいいじゃないですか。
本当にあの時、「自分が何がしたいのか?何をして良いのか?」分からなくて、本ばっか読んでいましたね。
(まあ、そんなことは考えても分からない。やるしかないんですけど、当時はそんなことも分かっていませんでした。)
それこそ、村上龍の<13歳のハローワーク>を読んだり、矢沢永吉の<成り上がり>を読んだり、唐沢寿明の<ふたり>を読んだり。仕事とか、人の自伝もそこそこ読みました。
そんな時間だけがあった大学院時代に、唯一力を入れたことと言えば、慶應ラクロスのOB会のプロジェクトでした。
自分で勝手にそれを立ち上げさせてもらって、推進していました。
それを通じて出会ったのが、私を電通に導いてくださった小島さんという大先輩でした。
初めて会ったときに、
「君、電通の仕事、向いてるから来いよ」
って言ってくれたんです。
で、その言葉を信じて、受験して、内定を頂くことができました。
それがあったから、今があるんです。
人生って、本当に何がどうなるのか?って分からないんですよね。
大学院に行って、ブラブラしていなかったら、今がないんですから。
営業日としては、今日で2021年の1月が終わります。
大学院時代ほどとは言わないですけど、今月は「時間」を作っていました。
平日の真っ昼間から、耳栓しながら沢木耕太郎さんは熟読する時間があるぐらいに笑
「お前暇だろ?」
って言われるかもしれません。(そして、実際そうなのですが笑)
でも、大学院時代のあの「モラトリアム期」時を思い返したら、むしろ、こういった時間が大切だってことも分かるんです。
そういう時期に、本能に従って動いていると、小島さんのような思いがけない大きな出会いがあるんです、きっと。
何も根拠はないんですけど、そんな気しかしないのです。
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【今日のうねり】
人生には「モラトリアム」期が必要だ。
その時間で感じたこと、気づいたこと、学んだこと、出会ったこと(人)が後に人生に大きな影響を与えることがあるのだから。
もし、そんな時間があったとしたら大切にすべきだ。というか作るべきなのだ。
何が起こるか?分からないけど、何かが起こるのだから。