「こらえ性なさすぎ」って声が聞こえた話。

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令和3年2月3日  今日もクルクル通信897号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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先日、思わず吹き出してしまったことがありました。

何に吹き出したのか?って自分自身にです。

自分一人しかいない状況だったから良かったものの、見ている人がいたら少なくとも2,3歩は後ずさりされていたことでしょう。

「そんなにソーシャルディスタンスを取らなくてもよいのに…」みたいな。

それは、夕方の千葉県のバス停での出来事でした。

周りは畑ばかり。というと言い過ぎですが、近からず遠からず、そんな場所でしたので、18時ともなると、辺りは完全に真っ暗です。

私が待っているバスは1時間に2本。逃したらアウトのやつでした。

バスの到着予定時刻は17時42分。7分前の17時35分にはバス停に到着していましたので、後はゆっくりバスを待つだけでした。

ただ、辺りは暗いし、風は冷たい。次第に、心に浮かんでくるのは、「早くバスがこねーかな」ってことでした。

バスは、100メートルほど先に見える信号を右折してやってくる予定した。

その信号とそこにある、コンビニの明るさを求めてなのか?視線は勝手にそちらに向かっていました。

「まだかな?」なんて、携帯で時間を確認すると、17時37分。

まだ2分しか経っていません。

その事実にビビりつつ、再びバスを待ちました。寒いんで、体を上下に運動させながら待ちました。

でも、やっぱり寒い。風が冷たい。

「そろそろじゃね?」って時計を確認すると、17時40分。

「後、2分ね。早く来ねーか」って思いながら、また信号を見つめ続けました。

でも、やっぱり寒い。「あと少し、あと少し」と言い聞かせながら、信号を見つめるも、全くバスが来ません。

「まだかよ?さすがに時間だろ」って思って時計を確認すると、17時42分。

やっと定刻。もうすぐだな。

期待に胸を膨らませながら、信号を見つめ続けました。

ついに、右折ウインカーを出している大型車が見えていたので、「いよいよだな」ってスイカを握りしめていると、曲がってきたのは、大型トラックでした。

「えっ、マジかよ…」けっこう、へこみました。

待てど待てどバスは来ません。

17時45分になり、17時47分になりました。

だんだん不安になってきて、「えっ、もしかして、先に行ってしまったのか?」とか「渋滞?事故にでもあったのかな?」なんてことも思うようになります。

たかだか5分しか遅れていないのにです。

それだけなら良いのですが、「遅刻かよ」なんて感情すら湧いてきました。

ようやくその信号からバスが顔をのぞかせた時、心底ホッとしました。

「ああ、よかった、バスがちゃんと来てくれた」って。

携帯で時間を確認すると17時49分。予定時刻から7分遅れての到着でした。

その7分間が本当に長く感じました。

心の中では、

「おい、本当にバスが来んのかよ」

とか

「あ、もしかして先に行ってしまったんじゃねえか?」

とか、

「遅れてんじゃねーか」

とか、あれこれ、いろんなことが頭の中で、浮かんでは消えていましたからね。

 

バスが目の前に到着した時に、私は吹き出したんです。

「いつからそんなにこらえ性がなくなったの?小学生の時の方があったよね?」

「進化どころか、退化してませんか?あなた?」

「もっとおおらかになったら?その時間、焦っても何も変わらないんだから」

って、自らに突っ込んで。というか、小学生時代の自分に言われたような気がしたんです。

 

私は、小学校1年生の時から電車&バスで通学していました。

当時、バスの7分遅れなんてよくあることでした。

早く来ることもあったし、10分以上遅れてくることもありました。

道路の混雑状況で到着時間なんて変わるもの。それが当然だと思っていましたからね。

それどころか、当時は、携帯電話をなければ、腕時計もしていない。要するに、時間を確認する術も持ち合わせていませんでした。

それでも、こんな気持ちにならずに普通にバスに乗っていたんですよね。

たぶん、当時の私は、全部「織り込み済み」のこととして、もうちょっとゆったりと生きていたんだと思います。

 

最近の、都心部のバス停では、電車並みとは言いませんが、「次のバスがあと何分で来るのか?今、どこにいるのか?」など、電子掲示板に細かく表示されるようになっています。

当時と比べたら、格段に便利になっています。

でも、このような便利な時代に小学生としてバス通学をしていたとしたら、「こらえ性がなくなった自分」を思うこともなければ、バス停で吹き出すこともなかったのでしょう。

どうやら、文明の進歩(というと大げさですが)が人間の成熟度は反比例することもあるようです。

小学生の自分を見習って、いろいろ「織り込み済み」で歩んで行きたいものです。
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【今日のうねり】
文明が進歩する。それは確かに良いことだ。それによって得られることも沢山あるのだから。
一方で、その便利さにかまけて、人として狭量になってしまうこともあるのかもしれない。
全て織り込み済みで行動する。おおらかさを持っておきたいものだ。

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