音と記憶。聞きたくない音楽たち。

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令和3年2月5日  今日もクルクル通信899号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日遭遇した人生で最も美しいウンコは、跡形もなくなっていました。

心ある飼い主が道具を使って除去してくれたのではないか?と思います。

一方で、あれほど立派なモノに巡り合えることもそうそうないので、「もう一度見れるのではないか?」と若干楽しみにしていた自分がいたのも事実です笑

ということで、今日も引き続き朝の散歩ネタです。

散歩ルートの一つに、土手があります。

ただ、階段も登らなければならないですし、そんなに頻繁に行くわけではないのですが、今朝は通ることにしました。

すると、別に雨が降ったわけでもないのに、土の道には、うすーく白く霜が張られていました。

その上を歩くと、「ジャリジャリ」という音が鳴ります。

冬の朝、土の霜。

何よりも、この音が、「辛い」記憶を呼び起こしてくれました。

それは、真冬のラクロスの練習です。

いや、あれは本当に辛かったですね、もう二度とやりたくないです。

ちょうど、学期末テストが終わった今頃から、ラクロスのシーズンが始まります。

ラクロスの練習は、週5日朝7時10分から。場所は多摩川の河川敷でした。

2月の朝の、あそこは、めっちゃ寒いんです。

毎日グラウンドに霜が降りています。

そこに足を踏み入れると、「ジャリジャリ」って音がするんです。

我々がグランドを走ると、その圧によって、霜がどんどん溶けていきます。朝日が力も相まって、1時間も経過した時には、カチカチだったグランドが、グチョグチョに様変わりします。

そんなグチョグチョ、ドロドロのグランドでする練習が本当に嫌でした。

数ある練習の中でも、一番嫌だったのが、基本メニューである、グランドボールでした。

これは、腰を下ろしてグラウンドに落ちているボールを拾うという練習です。

1対1。2対1。2対2。などなど、条件を変えながらボールを拾う・奪う技術を磨く。というのがこの練習の目的です。

ただ、よく考えてください。

グランドの土がグチョグチョになっているんです。その上に落ちているボールを、クロス(スティック)で拾うんです。当然ですが、クロスが泥まみれになります。

それだけならまだ良いですが、大学1年生の頃なんて、拾う技術もないですから、

ボール拾ってんのか、グラウンドの土をすくっているのか?全くわからないそんな状態でした。

そのすくった土がヘルメットの隙間を通って、顔につくんですよ。時に目の中に入るんです。

「田植えかよ!」って思っていましたよ。(不適切発言、すみません)

寒い、ボールは拾えない。泥まみれになる。

クロスの網に泥水の膜が張られていることもあったりして…

本当に最悪でしたね。何度やめようと思ったか?分かりません。

今朝の「ジャリジャリ」という霜を踏みしめた音は、そんな苦い記憶を呼び起こしてくれました。

音ってのも、においに負けず劣らず記憶を強化するのではないか?って思うのです。

 

新卒で家電メーカーに入社した友人がこんなことを言っていたんです。

「宇多田ヒカルの「traveling」が聞けない」

って。

彼の最初の仕事は、家電量販店での営業でした。

その店舗で「エンドレスリピート」していた曲が、当時大ヒットしていた、宇多田ヒカルの「traveling」らしいんです。

なので、この曲を聞くと、当時の辛かった思い出が呼び起こされる。

だから、聞きたくないらしいんですよ。

一日中、家電売り場にいて、「もっと売ってくれ!」ってそこの社員に怒られ、やりたくもない(?)接客をし、売れることも売れないも経験した。

あの日々が思い出されるから、嫌なんだそうです。travelingを聞くのが。

 

私に聞きたくない楽曲ってのがあります。

オリジナルラブの「夜行性」です。

これを聞くと、思い出すんですよ。高校受験で落ちた日のことを。

あの日、自宅の部屋で呆然といた光景が呼び起されるから、聞きたくないのです。

あるいは、ミスチルの「Mirror」を聞けば、好きだったクラスメートに振られたことを思い出しますし、

「終わりなき旅」を聞けば大学受験で自宅浪人していた日々を思い出します。

他にもありますが、こうやって列挙してみると、

音楽に紐づいている記憶は良い思い出ではないことが多いのかもしれません笑

こんなことは私だけなのかもしれません。

何も、人生が嫌なことばかりだったわけでもなくて、嬉しかったことも沢山あります。

でも、「嬉しかった時に聞いていた曲は??」と思い返してみても、一曲も思い浮かばないのです。

この差は何なんでしょうか?

その理由は、嬉しいという感情の高まりは、一瞬で強烈にスパイクするもので、継続し続けるものではないから。

ではないでしょうか。

嬉しい気持ちが、1時間あるいは、1日続くことがあっても、3日、あるいは一週間続くことってなくないですか。

一方で、辛いことや悲しい気持ちって、強烈にスパイクするというよりは、中程度の痛みが一週間、あるいは数週間と長く続いてしまうことが多くないでしょうか。

その気持ちを静めるために、あるいは、その時間を紛らわすために、音楽を聴くことが多いのではないか?

だから、嬉しいよりも、辛いや悲しい思い出にリンクする曲が多いのではないか。

そんなことを思うのです。

確かに、「嬉し過ぎて、あるいは幸せ過ぎて、周りが見えなくなる」なんて話を聞いたことがありますが、その逆はあんまり聞いたことがないようにも思います。

 

とは言いながら、綾小路きみまろさん曰く、

「失敗は人生の肥やし。臭いものほど栄養価がある」

のですから、そんな音楽とともに思い出される、辛いことや悲しいことも含めて、丸っと人生を愛していきたいものです。
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【今日のうねり】
においに負けずと、音も記憶を強化するものだ。
悲しい・辛い思い出と音楽(音)がリンクしていることが多いような気がするが、もしかしたらそれは、それらの感情は一瞬では消えず、長ければ数週間も続くものだからではないか。それを紛らわせるために音楽を聴くことがあるからではないか。
嬉しい気持ちは一瞬で強烈にスパイクする分、継続はしないのだ。
まあ、人生は嬉しいも、悲しいもあるから良い。
「失敗は人生の肥やし。臭いものほど栄養価がある」のだから、丸ごと愛したいものだ。

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