「生憎」という言葉がない世界。

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令和3年2月16日  今日もクルクル通信900号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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俳句の世界には吟行(ぎんこう)という営みがあるらしいです。

これは、「和歌や俳句の題材を求めて外に出かけること」であり、彼らの日常一部だそうです。
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仲間と一緒にピクニックなどはもちろんですが、例えばタクシーに乗っている時も、ご飯を作っている時も、その心持ちさえあればすべてが吟行です。
(以下の書籍より抜粋)
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と、2月15日の<1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書>に書いてありました。このように話をされていたのは、俳人の夏井いつきさんです。

「ってか、俺も毎日これやってんじゃん!」

これを読んだ瞬間に思いました。

「歌詠みと一緒にするなよ!」って話ですので、いいとこ、起業にちなんで、「記行」といったところでしょうか笑

ただ、このブログを書くために、日々の生活の中で、ずっとネタを探していますので、この観点においてだけは、同じと言っても良いのではないかと思います。

こんなことを申し上げるだけで、僭越過ぎるかもですが。

レベルはまるで違いますが、「バリサン」(死語?)で、アンテナだけは立て続けていますからね。

ゲゲゲの鬼太郎もびっくりなほどに笑 なので失礼をお許しください。

 

そんな吟行を日常的に行っている、俳人の世界では、

生憎(あいにく)

という言葉はないそうです。
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「きょうは生憎の雨で桜を見ることができない」
これは一般人の感覚ですが、俳人たちは「これで雨の桜の句が読める」と考えます。雲に隠れて、仲秋の名月が見えない時には、「無月を楽しむ」、雨が降ったら「雨月を楽しむ」と捉えます。
これは日本人ならではの精神であり、俳人の心根にあるものなのかもしれません。その精神で俳句を続けていくと、個人的な不幸や病気、苦しみ、憎しみなど、マイナスの要素のものが全て句材と思えるようになるのです。
(同書籍より抜粋)
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俳人は日々の吟行を通して、「解釈力のトレーニングをしている」と言えるのではないでしょうか。

心に引っかかったことに、様々な角度から光を当てることで、こんな捉え方はできないだろうか?こういうことは言えないだろうか?そんな自問自答をしているのではないか。

生憎という言葉がないのですから、どんなにネガティブな状況に置かれたとしても、その意味を見出そうとしていると思うのです。

意味を見出すことは、解釈をするということですからね。吟行はそのトレーニングでもあるのでしょう。

私も、毎日ブログを書く中で、どんなにネガティブな出来事があったとしても、これをプラスに変えることができないのか?

を考え続けています。

俳人は、ネガティブを必ずしもプラスに解釈し直す必要はないかもしれませんよね?

彼らの仕事は、曰く言葉にできない感情や普通の人が見えないことを言葉にすることなのですから。

ネガティブなことだったとしても、それをどう受け入れるのか?その感情をどのような言葉で言い表すのか?というのが大切な営みなのだと思います。

この想像が間違っていなければ、俳人は、日々、「解釈のトレーニング」や「認識拡大のトレーニング」をされているのでしょう。

それをしていなければ、心を打つ句を読むことなんてできないですからね。

そんなことを考えながら、この話を読んでいたら、最後にこんなことが書いてありました。
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それまで何をやってもマイナス思考で、螺旋階段をぐるぐる回りながら果てしなく下りていくように生きていた人が、物の見方が全く変わって生き生きとした人生を生きるようになる。
これこそが俳句の力ではないでしょうか。
(同書籍より抜粋)
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私は、俳句をほとんど読みませんので、これが「俳句の力です!」って諸手を挙げて賛成することはできません。

でも、これが、「毎日書く力だ!」ということは断言できます。

 

そういえば、宮城谷昌光さんの<湖底の城>に、こんなシーンがありました。

楚軍との開戦直前に暴風雨が起こった時、伍子胥が公子光に対して、こんなことを言うんです。
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「地が水浸しになっても人は生きられますが、地から水が消えたら、人は死にます。大いなる天から水は、吉兆ですよ」
「言葉で邪気を払ってくれるのか」と公子は言った。
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雨は天からの恵み。「吉兆の証」と捉えることができるんですよね。まさに解釈力

これを読んでから、雨の日の結婚式のスピーチ用にこれをメモっているんですが、雨の日の結婚式も、スピーチの依頼も久しくありません笑

でも、良いんです。準備をしている人だけにチャンスが訪れるのですから。

私は俳人ではありませんが、「圧巻の言葉の使い手」を目指すという観点では一緒ですので、

吟行ならぬ「記行」をこれからも毎日続けて行きます。

いつか来るであろうスピーチに向けて、トレーニングに勤しむのです笑
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【今日のうねり】
俳人は吟行という題材探しを日常的に行っている。
それを日々行っているから、人が見えないものが見え、曰く言葉にできない感情を言葉にすることができるのだろう。だから、言葉を扱うプロフェッショナルなのだ。
圧巻の言葉の使い手を目指す以上は、私も同じようなトレーニングをしなければならない。それは日々書き続けるということだ。そのために、ネタを探し続けるということ。アンテナを張り続けるということだ。
吟行ならぬ、記行をし続けていくのだ。

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