正気で「狂え」!

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令和3年2月20日  今日もクルクル通信904号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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孔子様はこう言っとる。
「人間というものは中庸を得たものが一番よろしい」と。まぁ、いわゆる聖人ですわな、しかし、現実にはそんな中庸の人間がおるものではない」と。
それでは、中庸の人の次にどういう人がいいのかというと、孔子は、
「”狂狷(きょうけん)の徒”がよろしい」
と言うておる。
「狂者は進みて取る」、進取の気性です。世間を変えるには「狂」がなければならない、そして「狷者は為さざるところあるなり」と。たとえ一億円の金を積まれても、わしは嫌じゃということは断じてせんという、それが「狂」です。
(中略)
一つの枠ができてしまっておって、これからも成長できないというのがあるんですよ。そういう時には脱皮しなければならん。この脱皮というのは一種の狂な瞬間ですよ。
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確かに、粋狂なことをしたかった。
デリーからロンドンまで、乗り合いバスを乗り継いで行くという、およそ何の意味もなく、誰にでも可能で、それでいて誰もしそうにないことをやりたかった。しかし、それは自分や他人を納得させるための仮りの理由に過ぎなかったのかもしれない。
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いずれも、ある本の抜粋です。

前者は、2月16日の<1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書>の白川静先生の「狂狷の徒たれ」からの抜粋。

後者は、沢木耕太郎さんの<深夜特急2>から抜粋です。

まったく別々に読んだ本でしたが、どちらも「狂」という言葉で私の中で繋がったものです。

私が「狂いたい」ってことかもしれません笑

さて、どちらも刺さりまくったのですが、特に、<深夜特急>のこの一連の文章は堪らなかったです。私が彼の書籍を「縦読み」して、知りたかったことの一つがここに書かれていましたから。

前後の文章と合わせると最高過ぎました。

以下に、上記の文章の直前に書いてあることも抜粋させて頂きます。(完全に私がテンションを上げるためです)

ネタバレになりますし、もし<深夜特急>を読もうと思っている方がいらしたら、全力で読み飛ばしてください!
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私は、春のある日、仕事の依頼をすべて断り、途中の仕事も全て放棄し、まだ手をつけていなかった初めての本の印税をそっくりドルに替え、旅に出た。
せっかく軌道に乗りかけているのに、今がいちばん大事な時ではないか、と忠告してくれる人もいた。だが、ジャーナリズムに忘れ去られることなど、少しも怖くはなかった、それより、私には未来を失うという「刑」の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく私がこの旅で望んだものは、それだった。
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いやー、かっこよすぎですよね。

昨日、一昨日で一冊ずつ2巻まで一気読みをしました。

まだ1/3ですが、ここは、この書籍のハイライトの一つだと勝手に思い込んでいます笑

それにしても、「執行猶予」の旅を綴って、累計500万部の大ベストセラーですから、どんだけすげぇんですか?って話ですよね。

新しい何かを為そうと思ったら、「粋狂」だと思われるくらいのことじゃないとだめってことなんですよ、きっと。

孔子だって言っているんですからね。聖人の次に上等なのは、”狂狷の徒”だと。

でも、これって、2500年以上前から今もなお変わらない真理っぽいんです。

だって、キヤノンの名誉会長であり、東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長である、御手洗富士夫さんも、

正気かと言われたことはやった方がいい。「それはいい」と言われたらそれは既に誰かがやっている。

って言っていたんです。

これもまさに、粋狂なことをやった方が良い、ってことですもんね。

一昨日書いた、ミドリムシでバングラデシュの健康に貢献する、と決めたユーグレナの出雲社長もそうですよね、「狂」がありますよね)

こんなことを書いていたら、司馬遼太郎の<世に棲む日々>に「狂気」のことが書いてあったことを思い出しました。そして、本を引っ張り出してきたら、やっぱりありました。
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(吉田)松陰は晩年、
「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」
と、ついに思想の本質を悟るにいたった。思想という虚構は、正気のままでは単なる幻想であり、大うそにしかすぎないが、それを狂気によって維持するとき、はじめて世をうごかす実体になりうるということを、松陰は知ったらしい
(抜粋)
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ちなみに、思想とは、
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本来、人間が考えだした最大の虚構――大うそ――であろう。松陰は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家論という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、かれ自身もその『虚構』のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。これほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない。
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と書かれています。

学生の時に、吉田松陰は「自分が死ぬことで虚構を実在化させた」って箇所を読んで、ビビったんですよ。感情が震えたから今になっても思い出すことができたんですよね。

学生の時から狂いたかったってことでしょうか笑

 

何かを為そうとしたら「狂」が必要。

そうだとした場合、大事なことは、それを

正気でやること

なんじゃないか?って思うのです。

狂気を正気でやる

狂気を適当にやったら、マジで狂った人。単なるちゃらんぽらんで終わってしまいます。

傍から粋狂だと思われようとも、全力で打ち込むから道が切り開けるのです。
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【今日のうねり】
道を切り開く方法は、「狂」である。「狂」とは、自らの信じたことを突き進むことだ。
孔子も御手洗富士夫さんも、その大切さを説いているのだから、2,500年以上前から変わらない真理なのだ。沢木幸太郎さんの深夜特急もそこから生まれているのだ。
ただ、狂っても仕方ない。狂気を正気でやるから意味があるのだ。そうでなければ単なるちゃらんぽらんになるだけだ。”狂狷の徒”になるのだ。

■番外
深夜特急のここに書いたことの締めはこうだった↓

多分私は回避したかったのだ、決定的な局面に携え選択することで何か固定してしまうことを恐れたのだ。逃げたと言ってもいい。ライターとしてプロの道を選ぶことも全く異なる道を見つけることもせず、宙ぶらりんのままにしておきたかったのだ…