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令和3年2月26日 今日もクルクル通信910号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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50円欲しさにお賽銭箱からお金を盗んだ。俺はお賽銭泥棒だった。
そんなことを昨日書きましたが、今日も泥棒ネタを続けます。
泥棒をしたこともありましたが、泥棒をされたこともあるんです。
小学校6年生の時のことです。私は、家族と離れ、一人で祖母の家で居候していました。
理由は、通っていた国立の小学校が2年間しか休学ができなかったからです。(家族はシンガポール駐在でした)
何を取りに帰ったのか?覚えていないんですが、空き家になっていた実家に1人で帰ったことがありました。
角部屋だった、601号室。
1年半ぶりの実家。ちょっとだけウキウキしながら扉を開けると、家の中の様子がおかしいことに気づきました。
玄関から見える、突き当たりの私の部屋から、荷物が散乱しているのが見えます。
一番近い左手の部屋からも荷物が溢れ出ています。
「ちょっと待って。これ、泥棒入った?いや、もしかして今いるの?」
背筋が凍るとはまさにこのこと。
「誰かいるんですか?」
口に出したのか?心の中で言ったのか?分かりませんが、恐る恐る部屋の中に入っていきました。
荒れてる、荒れてる。
玄関から一番近い部屋をのぞき込むと、乱雑にタンスの引き戸が開けられ、中に入っていたものが床にまき散らされていました。
続いて、左手に見えてきたキッチンの小窓。そこには、乱雑な六角形ぐらいの大きな穴が開いていました。
シンクや台所一面に広がるガラスの破片。そこから吹き込む冷たい風。
泥棒が入ったことを確信しました。
そこで、もう一発恐怖で震えました。
家の中のタンスというタンス。引き戸という引き戸が開けられ、中身が部屋中に転がっていました。
幸いなことに既に泥棒は出て行った後でした。
よくもまあ、そのまま武器も持たずに家の中に入っていたと思いますが、
家の電話は止まっていましたから、近くにあった電話ボックスに駆け込み、祖母の家に電話をし、そのまま警察に電話をしました。
警察に電話をしたのは、後にも先にもこの一回だけです。
10分もすると、ウウーンというサイレンとともに、警察官がやってきました。
祖母の家から叔父も駆けつけてくれました。
一通り、警察官が家の中を捜査?して、荒らされに荒らされた部屋のテレビの前のソファーで、取り調べ&指紋採取をされました。
単なる第一発見者なだけなんだけど…指紋取る必要あるの?そんなことも思っていましたが。
その頃には日が沈み始めていて、泥棒の侵入経路と思しき破られた窓からは吹き込む風が冷たかったことを覚えています。
取り調べと捜査が終わった後に、パトカーで王子警察署まで連行?されました。
警察署で各種書類を記入し、そこで解放されました。
恐怖と初めての捜査で、めちゃ疲れたことを覚えています。
帰宅後、シンガポールの両親に電話をし、取られて困るようなものは一つもなかったことがわかりました。
実質被害がゼロ。ホッとしました。
あの荒らされた部屋をどうやって清掃したのか?は全く覚えていませんが、窓ガラスを張り替え、綺麗に現状を復帰をし、家族が帰国するのを待ちました。
結局、犯人が捕まることはありませんでした。
半年後ぐらいに家族が帰ってきました。
ある日、親は嬉しそうにこんなことを言いました。
「本当にラッキーだったわよ。取られて困るものはなかったし、今回の空き巣で、保険がおりたのよ。
それで家の中をリフォームが出来るんだから。有難いわ」
いや、確かにそれはラッキー。家族としては有難い話です。
でもさ、
あの日の俺のとんでもない恐怖を忘れんなよ。あなたは見てもいないから分からないだろうけど。
めっちゃ怖かったんだぞ!
内心、けっこうキレてました。もしかしたら、それを口に出していたかもしれません笑
世の中には、「振り返ってみたらラッキーだったこと」や「棚からぼた餅」のようなことが、しばしば起こります。
でも、それが、誰かからもたらされたものだったり、その背後に何かを負担している人がいたとしたら、手放しに喜ぶのは考えもんです。(今回の泥棒事例でいえば、ボクのことです笑)
とは言いながら、嬉しい瞬間ってのは、周りが見えづらくなることも事実です。
例によって、「言うは易く行うは難し」ですが、ここぞ!って時にそういった配慮ができると美しいですよね。
まあ結局、私の一瞬の恐怖のおかげで、かなりの保険金がゲットできたらしいですし、家がキレイになって快適になったのも事実。
「よく頑張ったな」って、叔父が美味しい日本料理屋にも連れて行ってくれましたし、パトカーに乗るってレアな経験もできたので、今では「美味しい」経験です。
めでたし、めでたし。
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【今日のうねり】
人生には「棚からぼたもち」、「振り返ってみたらラッキーなこと」がしばしばある。それを手放しで喜ぶ時は要注意が必要だ。その裏には自分が思いもよらない苦労をしている人がいるかもしれないからだ。
とはいえ、それは難しい。出来たら、美しいので、できるようになりたいところだ。