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令和3年3月5日 今日もクルクル通信917号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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うまくいかないことがあった時、思い通りにならないことがあった時、ついつい誰かのせいにしたくなってしまいますよね。
俗に言う他責思考です。
そうあってはならないと思いつつも、やっちゃうことがあるんですよね。
ましてや、完全に自分に非があるケースだったとしても、それを素直に認められなくて、
「あいつが悪い。あれが悪い」って、自分以外のどこかにその理由を探してしまうんです。
そのどこかにされた人にとっては、とんでもなくいい迷惑です。
一度、そのモードが発動されてしまうと、簡単には止められないのも事実です。
このモードになると何が困るのか?、
あいつのせい。あれのせい。が、どんどんエスカレートしていっちゃうってことです。
そういえば、あれもあったな。こんなこともあったな。なんて直接関係ないことすら、絡め始めてしまいます。
「ふざけんなよ!」が止められなくなってしまいます。
相手が悪い理由の天丼。コンボ。
腹をすかした高校生が、わんこそばでおかわりし続けているかのごとく、止まりません。
もうこうなると、初めは些細な「あいつのせい」だったのが、強烈な「怒り」に変換されてしまっています。
「怒り」は困るんですよね。
放っておいたら、つまり何かのせいにし続けてしまったら、延焼・類焼してしまうから。
金田一少年の事件簿の「オペラ座の怪人」よろしく、「怒りの業火に身を焼かれてしまう」のです。
この状態に突入すると何が起こるのか?
それ以外のことを一切考えられなくなる
ってことですよね。
脳内で「ふざけんなよ」「どうしてくれんだよ」「なめてんのかよ」が、宇多田ヒカルばりにエンドレスリピート。
(本来、こういった「汚れた」言葉を一切使わないようにしています。本当に言ってしまう可能性がでてしまいますから。一応サンプルということで例外的に書きましたが笑)
何も考えられない。行動できなくなるのです。
(もちろん、こんな状態にならない、成熟した方もいらっしゃるとは思いますし、
そんな「怒り」とは無縁の男になりたいと願っているので、こうやって書いてもいるのです)
でも、不覚にも、怒りの業火に焼き尽くされてしまうことがあったとしたら、どうすればよいのか?
大きく二つの方法があると思っています。
一つ目は、
指先を自分に向けることです。
他責状態や怒り状態は、文字通り、指先を自分以外の何かに向けているので、それを一旦、自分に向けてみるんです。
そうすると、必ず問いが生まれます。例えば、
あれ?そもそもなんでこんなに怒ってんだっけ?
この原因ってなんだっけ?
もしかして、俺にも落ち度があったんじゃないかな?至らないことがあったんじゃないかな?
そんな言葉が生まれるはずなのです。
私は、心の中で、指先を自分に向けるだけでなくて、物理的にも指先を自分に向けるようにしています。
すると、割とスムースに自分に意識が向きますからおすすめです。
こんな感じで、自らに意識を向けて、言葉で問うことによって、怒りを消化する。これが一つ目の方法です。
もう一つの方法は「目を閉じる。深呼吸をする」ことです。
物理的に何かを目で見ていると、その状況から逃れることができません、
でも、目を閉じれば、否が応でも自分に意識が向くようになるんですよね。
それ以外に見るものがないから。当たり前ですが。
そこで深呼吸を繰り返す。
アンガーマネジメントやマインドフルネスなどでも語られていることかもしれませんが、そんな大層な話でもないです。
ウシジマくんだって、怒りを鎮めるために、大きな深呼吸をやっていましたから。
このように二つの方法があると書きましたが、起点となるのは、
自分に意識を向けることです。
深呼吸をするにせよ、実際に指先を自分に向けるにしろ、自分に意識を向けること。
ここから始まるのです。
それができれば、おのずと、自分への問いかけが生まれます。
問いかけが生まれるということは、自らに「言葉」で語りかけるということです。
怒りの消火活動は「言葉」で行うのです。
暴走した車のブレーキを踏めるのは、言葉だけなのです。
幸運なことに、誰かと一緒にいて話を聞いてくれる人がいたり、なだめてくれている人がいることもあるでしょう。
その場合も、彼らは、問いかけてくれているはず。言葉を与えてくれているんだと思うのです。
怒りをコントロールするには、言葉が必要。
「圧巻の言葉の使い手」になることは、自らを律し、怒りをコントロールできるようになることにも繋がります。
だからこそ、本を読み、人の話を聞き、良質な言葉に触れ続けるのです。
精進あるのみなのです。
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【今日のうねり】
思い通りにならない時、他責思考が発動してしまいやすい。
でも、それでは成熟した人ではない。「大人」になるためには、怒りがコントロールできなければだめなのだ。
そのためにどうしたらよいのか?
まずは自分に指先を向けること。意識を向けることだ。
その方法は、物理的に指先を自分に向けるor大きく深呼吸を繰り返す。この二つがあるのだろう。
つまるところ、自分に意識を向けるということだ。
これができれば、自然と自らに問いが生まれるのだ。問いとは言葉だ。
言葉を巧みに使うことができれば、怒りの消化もできるのだ。
卓越した言葉に使い手になることができれば、自然と自らをコントールできるようになるのだろう。
そのために精進あるのみなのだ。