真摯さは余韻を残す。

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令和3年3月10日  今日もクルクル通信922号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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現代の武力であるコミュニケーション能力

この能力を極めた、コミュニケーションの達人になるには、どうしたら良いのでしょうか?

一昨日、昨日と書いていたように、

「メッセージを伝えたい!」という熱い気持ちがある。

映像演出家のように、カメラを切り替えることができる。

「言葉の力」がある。(それを高める続ける努力をしているか。表現力を磨いているか?)

これらができていれば、「達人になれる」かどうかはわからないですが、達人に近づくことはできると思っていました。昨夜までは。

でも、大事なことを忘れていたことに、昨晩気付かされました。

それは、

真摯さ

です。

昨夜から今朝にかけてそれを感じざるを得ない、出来事が立て続けに3件あったのです。

 

昨夜帰宅するとアマゾンから書籍が届いていました。

「何だこの大判の本?買った記憶ないぞ。なんか買ったっけ?」

そんなことを思いながら開封すると、

「心電図の読み方 考え方」という本が入っていました。定価が6,000円越え!!

マジで記憶がない。

スマホを取り出して、注文履歴を確認するも、ありません。

間違いがないのか?二度も確認しましたが、やっぱりありません。

これって、もしかしてアカウントが乗っ取られた?

クレジットカード不正利用をされた経験からすぐにそんなことが頭をよぎってしまいます。

「これ、確認するの大変そうだな、明日やるか」

そう考え、忘れようとした瞬間、

「ちょっと待ってよ。先週、注文してまだ届いていない羽生善治さんの本があるぞ。もしかして、それが間違っていたってことある?」

って思いました。

封筒に記載されている差出人と注文履歴にある、発送元を照らし合わせると、

一致していました。

「先方の商品取り間違えか。めんどくさいけど…アカウント乗っ取られるよりはマシ」

早速、「注文していた書籍と別のものが届いた」旨を書いて、Amazonに返品依頼をかけました。

今朝起きると早速メールが届いていました。

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誤った商品をお届けしてしまい誠に申し訳ございません。交換品がございませんでした。

お手数おかけしますが、下記まで返送をお願いします。着払いでも大丈夫です。元払いの場合は、返送費用も合わせて返金いたします。
===

「たった」これだけでした。

交換品がない。って、そもそもどうなのか?って話ですけども…もうちょい言葉があっても良いですよね?

例えば、

宛先(中田様)を書く。

とか、

弊社の手違いにより、ご迷惑をおかけしました。

とか、

ご迷惑をおかけしてしまいましたが、またのご利用の機会をお待ちしております。

とか、

あるいは、

次回のご利用いただけるクーポンをお渡しさせてください。

とか。

今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。とか、

なんか、そういう一言を書いても良くないですか?

別に「詫びて欲しい」って思っているわけじゃないですよ。

私が知りたかったことは十二分に伝わっていますし、その観点で言えば、メッセージの役割は果たしているので。

でも、「もったいない」って思っちゃっいますよね。

だって、私は二度とこのお店を利用しようって思いませんから。

ただ、「ふるさと納税の雅之さん」のことを思うと、これが普通なんですかね笑

 

商品を梱包し直して、元払いの手続きをすべく、あさイチ、コンビニに行ってきました。

「元払いの宅急便の送り状をいただけますか?」

「はい、承知しました。何枚ですか?」

「1枚です」

とても丁寧に対応してくれたので、思わず名札を見ると、「ちょう」と書いてありました。

送り状をもらった後、それを書くべく、飲食スペースがないかなーって、キョロキョロしていると、そのちょうさんと目が合いました。

彼女は、胸ポケットに入っているボールペンを出して、「これですか?」って言ってくれました。2.5メートルくらい離れているにもかかわらず。

ボールペンは持っていたんですが、ついつい「はい、そうです。ありがとうございます!」と言ってしまいました。

送り状を書いた後、ちょうど彼女のレジが空いていたので、そこに行きました。

「少々お待ちください。サイズ測りますので」

「日本語、お上手ですね?勉強して何年ですか?」

「3年です」

「えっ、たった3年でこんなに上手くなるんですね」

「あっ、ありがとうございます。こちら領収書と控えになります。ありがとうございました」(ペコリ)

「こちらこそありがとうございました」

コンビニを出ると、降り注ぐ朝日の気持ちよさも相まって、なんだかめちゃ気分が良くなりました。

そのままオフィスに歩いて向かう途中に、清掃道具を持った若い女性がオフィスビルから出てきました。

すれ違いざまに、彼女は会釈をして、「おはようございます」と片言の日本語で話しかけてくれました。

私も「おはようございます」と挨拶をしつつ、「はて、面識あったっけな」なんて思ってしまいました。

そんなことを思う、自分の狭量さも感じてもいました。

気持ち良い朝に、面識あるとかないとか、関係ある?挨拶はするもの。気分が良いじゃない。

って。

彼女の「おはようございます」は先ほどの「ちょう」さんほどの流暢さはありませんでした。

でも、その気持ち良さは全く変わりませんでした。すれ違った後も、ずっと気分が良かったですから。

 

歩きながら、改めてあの本屋さんの文面が頭をよぎりました。

確かに文意はわかったよ。

状況は全部理解できたし、こちらがやるべきことも、分かったよ。

何も質問はありませんよ。

でも、もう二度とこのお店の商品を買おうとは思わないのです。

真摯さを感じないのですから。

やり取りをした後に、私に残っていた心地よさがないのです。

彼女たちが残してくれた、「余韻」がないのです。

 

真摯さは言葉に依りません。態度や人柄から醸し出されるノンバーバルなものです。

コミュニケーションの達人になろうと志すのであれば、

ノンバーバルな部分とバーバルな部分の両方を併せ持つ必要があるのではないか。

余韻を残すほどの、真摯さを身に着けられるようになりたいものです。
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【今日のうねり】
コミュニケーションの達人たるもの、バーバルな部分のみならず、ノンバーバルな部分の両方を併せ持たなければならないのだろう。
バーバルな部分=言葉の力は精進するのはもちろん、ノンバーバルな部分=真摯さも身につけなければならない。真摯さは、相手に心地よい余韻を残すからだ。
バーバル部分とノンバーバルな部分これらが掛け合わされるから、人に影響を与えられるようになるのだ。