三分咲き、五分咲き、七分咲き、開花。

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令和3年3月20日  今日もクルクル通信932号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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散歩道の桜が、先週末あたりから少しずつ咲き始めていました。

今朝は、ついに満開となった桜の木をいくつか見ました。

昨日はなかなか良い陽気でしたから、沢山の日差しを浴びて、エネルギーを溜め続けていた桜が一気に花を開いたのでしょう。

いつもの散歩道もどんどん色づき、賑やかになってきました。

毎日同じ道を歩いているので、蕾が付き始めた、とか、蕾が花開いたよ、とか、日々その成長を感じていたつもりでしたが、

満開になる時は一気にドドッとくる。

マジかよ!ってビビるほどに一気に来るんですよね。

地味に着々と成長をしていることって、実は外から眺めていても分かりにくい。

仮に分かっていたとしても、大したことないと見積もってしまうもの。

だからこそ、知覚するほどの外的な変化は、あたかも非連続かのごとく感じてしまうと思うのです。

人の変化や成長ってのもこれと同じところがあるのかもしれませんね。

 

ただこの散歩道の桜は、まだ「満開」とは報道されないでしょう。

その多くは、まだまだ蕾のままですからね。

同じ桜でも、かなり個体差があるんです。

先程通った街路樹の桜も、こちら側は七分咲きくらいでしたが、向かい側の桜は、まだ蕾のままでしたし。

この個体差は何から生まれるのでしょうか?

おそらく、日照量の差です。(全然その道に明るくないので、たぶんですが)

数メートル、数十メートルの違いで、雨の降る量=水分量や気温の変化はないでしょうから、ビルや樹木などの日差しを遮るものがあるかどうか?

これが、日照量の差を生み、個体差を生んでいるのだと思います。

日照量の差ってこんなに影響があるの?って思ってしまうくらいに、花が咲くタイミングが異なっているんです。

 

「開花する」という言葉があります。これは、ご存じの通り、

・草木の花が咲くこと。

・物事が盛んになること。また、成果が現れること。

という二つの意味があります。(goo辞書より)

後者の意味は、文字通り、このような花が開く様子から与えられたものだと思います。

「努力が開花する」「才能が開花する」なんて言い方をしますが、

これらが開花するタイミングも、花と同じように個体差がありますよね。

AさんとBさんが同じエネルギーで、同じ行動量で、それぞれの目標に向かって走っていたとしても、開花するタイミングは異なるんです。

でも、一つだけ確かなことは、これまた花と同じように、

必ず花が咲く

ということです。

そうなんです、タイミングが違うだけなんです。

草花は、人のように感情や意思はないでしょうから、

「あいつはもう満開かよ。羨ましいな。俺はまだかよ。俺だって、同じように頑張ってんのに・・・なんだよ」

なんて、他人と比較し、羨み、妬み、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)を持つことなんてないのでしょう。

人は違いますよね。多くの場合、どうしたって他人が気になってしまうものです。

比較をするならば、他人とではなく、過去の自分として、成長を図るべきなのに。

でも、それが簡単ではないから、「もうやーめた」って諦めてしまう人が出てくるのです。

ただ、花が必ず咲くように、人も必ず咲くのです。

そうでなければ、「才能が開花する」なんて先人が作った言葉が、今もなお辞書に載り、使われ続けることなんてないと思うのです。

正しい栄養を与え続ければ、必ずどこかで開花するはずなのです。

その栄養とは、草花で言えば、日照量。人の場合は、「学び」ではないでしょうか。

「我以外皆師」と言ったのは、作家の吉川英治ですが、

常に学ぶ姿勢を忘れることなく、粛々と積み上げていれば、必ず花が咲くのです。

そのタイミングは、運とか縁次第。人や物事との出会いといっためぐり合わせに任せてちゃいましょう。

 

明日は雨予報ですが、幸いなことに、気温はそこまで下がらないようです。

桜が散ってしまう心配もないでしょう。

週明け月曜日からは、緊急事態宣言も解除され、一週間快晴の予報です。

いよいよ桜が満開。春本番になりそうです。

嬉しいですね。

満開の桜を愛で、「満開の自分」を妄想するも良いのかもしれません笑
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【今日のうねり】
開花するのは、花だけでなく、人間も同じだ。
そのためには何が必要なのか?栄養だ。栄養とは学びだ。
「我以外皆師」の精神で、人から書物からどん欲に学び続ける姿勢が大事なのだ。
それさえ続けていれば、必ず花と同じように開花することができるのだ。