特定の分野だけを学ぶのが怖いワケ。

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令和3年4月2日  今日もクルクル通信945号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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今朝、鼻うがいをしようと、専用ボトルに食塩を投入しようとしたところ、手元が滑って、注ぎ口に食塩が付着してしまいました。

本来は専用の粉を使うのですが、それがすでに亡くなってしまい、食塩で代用をしています。

調べたところ、少し重曹を混ぜた方が良いらしいですが、めんどいですし、食塩のみでも何らも問題を感じていないので、これで進めてしまっています。

多少、専用も粉に比べればしょっぱいですが笑

さて、

水に湿ったものの、解けずに残っている食塩を見て、小学5年生の理科の実験を思い出しました。

その実験は、シンガポールの日本人学校でやって、ビーカーの中に水と食塩と紐を入れて、教室の本棚の上に置く。という極めてシンプルなものでした。

実験翌日の下校時刻には、暑さで水分が蒸発して、見事な食塩の結晶が出来上がっていました。

あの強烈な日差しが食塩の結晶に反射する光景はめちゃ綺麗でした。

その結晶は、アナ雪のオープニングに出てくるようなきれいなものでした笑

 

溶解度ってのがありますよね。

溶媒(水)100gに、どれくらい溶質(食塩)が溶けるのか?

を表した指標です。

この溶解度は、溶媒によって変わります。同一の溶媒でも、温度によって変わります。

水やエタノール、油など溶媒によって溶解度が異なるみたいです。

同じ溶質を入れたとしても、溶媒によって溶け方が変わる。

これって、個人の理解力や咀嚼力と近いところがありそうです。

全く同じ情報に触れたとしても、跡形もなく吸収できてしまう人と、溶けずに沈殿してしまう人がいるじゃないですか。

前者は理解力が高く、後者はそれが低い。と言えるのではないかと思うのです。

人間一人一人も経験してきてることも異なりますし、持っているものも違いますから、溶媒と同じように溶解度が違ってもおかしくないですよね。

「似たものは似たものを溶かす」という言葉を理科で聞いたことがありますが、同じように、人によっても理解しやすい情報と理解しにくい情報があります。

(水と油は似ておらず、互いに溶け合わないから「水とアブラ」って言葉があるんですよね、きっと)

今まで学んできたこと、経験してきたことが多い分野の情報であれば、理解しやすいでしょうし、それが少なければ理解しにくく、その分沈殿も多くなってしまいます。

では、理解力を超えて沈殿してしまった情報には意味がないのか?っていうと、そんな事はありません。

溶解度が、温度や分量によって変わるように、理解度も状況によって変わるのです。

ある特定の分野に対する自分が熱量が単純に上がれば、それに比例して理解度も上がります。

あるいは、その情報に触れたときは、理解度が足らずに沈殿してしまったものがあったとしても、その後も弛まずに学び続けていれば、自分自身が変質することがあります。

すると、溶媒そのものが変化しますから、それに合わせて溶解度(=理解度)も変化し、今まで溶ける(理解する)ことがなかった沈殿物(情報)が溶け出す(理解できる)ことがあるのです。

ですから、どんな学びにも無駄はないのです。

それを繰り返していく中で自らの変質が起こり、どんどん吸収できるものが増えていくのですから。

むしろ、特定の分野だけを学び続ける方が怖いのです。

変質もなければ、飽和状態に達してしまい、そこに進歩がなくなってしまいますからね。

学びの世界を拡げ続け、変質をし続けるのです。
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【今日のうねり】
溶媒に溶解度があるように、人にも理解度があるのだ。
それはそれまでの学びの総量や経験によって決まるのだ。
ただ、人は学び続けることによって変質を繰り返す。それによって、それまでに沈殿してしまったものが溶け出すことがあるのだ。
だからこそ、変質を求めて、多分野の学びが必要なのだ。特定の分野だけにフォーカスしてしまうと早々に飽和状態に達してしまい、進歩がなくなってしまうのだ。

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