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令和3年4月3日 今日もクルクル通信946号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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散歩コースの千鳥が淵~北の丸公園が最も賑わう季節が終わりました。
まさに、ちょうど1週間前が絶好の花見日和でしたが…桜の見頃はほんと一瞬ですね。
実は、北の丸公園内にある、武道館は3月から4月にかけて大忙しなんですよね。
大学の卒業式からの入学式で。
今年も、東京電機大学、法政大学、東洋大学などなど、日替わりで卒業式が開催されていました。
そういえば、卒業式と入学式の間隙を縫って、「浦島坂田船」というイベントも開催されていました。
アニメのイベント?なんて思っていたら、バンドでした。
アニメイラストが完全女性にもかかわらず、男性ユニットとのこと。全く持って分かりませんでした。
この二日間だけは、いつもとはまるで違うカラーの人たちが武道館に集まっていました。
この武道館では開催されていなかったですが、4月1日は各社で入社式があったようですね。
リアルで?オンラインで?は会社それぞれ違ったようですが。
緊急事態宣言も解除され(感染者は増えているようですが)、新しいスタートな季節が始まりました。
それにふさわしい、最高な天候が続いていますが、このまま世の中も穏やかになっていってくれると良いものです。
当の私はというと、ついに曜日感覚もなくなり、新年度感覚もまるでありませんが笑
おかげさまで気候に負けず劣らずご機嫌に過ごしています。
さて、新社会人の皆さんは、一体どうやって自分の会社を決めたのでしょうか。
その会社に入ろうと思った決め手は何だったのでしょうか?
この仕事に取り組んでみたいと思ったから。
これぐらい給料を稼ぎたいから。
将来〇〇をしたいから、まずはここで××という経験を積みたい。
楽しそうだったから。
働いている人がイキイキしていたから。
なんとなく。
などなど。
その理由は、三者三様でしょう。
あれこれと、エントリーシートや面接では理由をこねくり回したとは思いますが、ぶっちゃけ、
なんとなく。
とか
とりあえず楽しそうだから。
ってのが、理由のほとんどではないでしょうか。
どんな理由であれ、決めたところで全力で頑張っていれば、必ず得られることが沢山あります。大事なことは、
ごちゃごちゃ言わずにベストを尽くす。
これに尽きると思います。
その昔、OB訪問を年間5-10件くらいは受けていました。この数年はめっきりないですが…
当時訪問下さった学生にお話をさせて頂いていたことは、
どんなことをやりたいのか?というよりも、こういう人になりたいな。と思える人が多い会社を志望する。という考え方が良いのではないか。
ということです。
なぜなら、
やったこともないことを心の底から「やりたい!」と思うことは難しい
って思っていたからです。
今でもこの理由は、そこそこ的を得ているとは思いますが、より具体的な言葉にしてみたいと思います。
それは、
「何をやりたいのか?=Doing」よりも「どうありたいのか?=Being」の方が上位の概念だから
という説明です。
やりたいことは実際に実現できてしまえば、そこで目標が達成されたことになります。
やりたい「こと」であるから、いつかは実現できるものです。
達成した時に、満足が来てしまう可能性が十分にあります。
もちろん、「商売は飽きない(商い)」って言うぐらいですから、やればやるほど楽しくなり、見えなかったものが見えるようになる。
その結果、その仕事にハマり続けてしまうこともあるとは思います。
でも、達成のしやすさという観点で言えば、Doingの方がBeingよりも簡単でしょう。
ありたい姿というのは「状態」ですから、追いかけても追いかけても辿り着かないものですから。
追いかけても辿り着かないから、チャレンジし続けることができるのです。
人それぞれ個性も、能力も違いますから、追いかけている後ろ姿と自分が完全一致することはありません。
自分が良いなって思う人のモノ・コトのエッセンスを自分の中に取り込み、それが自分の中で昇華された時に、目標が達成されたと言えるのでしょう。
まあその後ろ姿を目撃する度に、いつも、その後ろ姿が遠い。てか、どんどん遠くなっているって思えると理想だとは思いますが。
追いかける方は常に全力で追いかけることを余儀なくされるわけですからね。
そうではなく、気付いたらその後ろ姿に追いついてしまった、あんなにデカいと思っていた背中が小さい。なんて感じることがあったとしたら、
それは、旅立ちの時なのかもしれません。
守破離で言えば、「守」の終わり。
追うべき後ろ姿の再設定。
目標の更新が必要タイミングと言えるでしょう。
でも、旅立つというのは、何もその組織から離れるという事だけを指しません。
そこで、また別の後ろ姿を見つけることができれば、それで良いですし、そこで見つからなければ外に探しに行っても良い。
探しても見つかれなければ、自分で作るしかないのです。
それはまるで、今まで歩いてきた、都会の整備されたアスファルトではなく、「けもの道」を歩くということになのかもしれません。
人が歩んだ道ではないから、暗くて怖い。でも歩くしかないのです。
スピッツの「けもの道」という曲がありますが、こんな歌詞です。
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あきめないで それは未来へ かすかに残る けもの道
怖がらないで 闇の向こうへ 手を伸ばす前の通り道
全ての意味を作り始める あまりに青い空の下
(一部抜粋)
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「けもの道」を歩き始めるというのは、未来に向けた通り道のようです。
臆することなく、でも気を付けて進んでいけばよいのです。
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【今日のうねり】
目標は、何をしたいのか?ではなくどうありたいのか?DoingではなくBeingを定めるとよいだろう。
なぜなら、Beingは状態であり、追いかけても追いかけても決して辿り着くことがないから。
そのBeingも自分でセットするのは難しい。「これは!」と思える後ろ姿に出会えると良いだろう。
その後ろ姿のエッセンスを抜き出したときに、後ろ姿が十分近くなった時は、旅立ちの時なのだろう。
守破離で言えば「守」が終わったタイミング。
ここから、新たな後ろ姿を探すか?自分で道を切り開くのか?
後者はけもの道を歩むことになる。けもの道は、未来に向けた通り道。臆することなく気を付けて進むのだ。