どこまで遠くに行けるの?自分の距離を拡張せよ。

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令和3年4月14日  今日もクルクル通信957号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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沢木耕太郎さんの「旅する力-深夜特急ノート-」という書籍があります。

これは、「深夜特急」にまつわるエッセイですが、こんな一文があります。
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例えば、旅をしていて、誰かと知り合う。そう、外国を旅していて外国人に「家に来ないか」と誘われたとしようか。

さあ、その時どうするか。

私だったらどう考えるかと言うと、世の中には基本的に親切な人が多いし、そんなに悪い奴というのはいないと思う。しかし、同時に、悪い奴がきっといると思う。

そう考える私は、どこまで行ったら自分は元の場所に戻れなくなる可能性があるかという「距離」を測ることになる。

そして、私は自力でリカバリーできるギリギリのところまでついていくと思うのだ。

もしかしたらそれは相手の家の庭先までかもしれないし、居間までかもしれない。もし女性だったら、2階の部屋まで入ったら、もう戻れないかもしれない。

要するに、自分の力とその状況を比較検討し、どこまで行ったら元の場所に戻れなくなるかを判断するのだ。

そういうことを何度か繰り返していると、旅をしているうちにその「距離」が少しずつ長く伸びていくようになる。
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これを読んで、「旅」を「チャレンジ」に置き換えても、そのまま成立する。そう感じました。

チャレンジとは、ここまで踏み込むことはできる。何かあってもリカバリーもできる。でも、これ以上突っ込んでしまったら、ダメだ。リカバリーもできない。

そんな自分の「距離」を拡張する営み。

だと思うからです。

この「距離」とは物理的な距離というよりは、心身の感覚を伴う距離なのでしょう。

その「距離」を誤ってしまうと、リカバリーができなくなってしまうので、

チャレンジに懸けているものの大きさとそこから得られるものから、適切な距離設定をすることが大事になります。

 

生まれて初めて距離設定をミスった出来事は、迷子でした。

5歳くらいの時に、兄とその友人5人と遊んでいた時のことです。

私だけが補助輪つき自転車で公園に遊びに行きました。

私は、彼らを必死で追いかけました。

何とか行きはくらいついていくことができ、公園でも一緒に遊ぶことができました。

まあ遊ぶといっても、彼らが遊んでいる付近を一人でチョロチョロしていただけだと思いますが。

「夕焼け小焼け」のチャイムが鳴り、家に帰る時に、彼らを見失いました。

行きと同じように、補助輪自転車で必死で彼らを追いかけたのですが、

途中で、派手にすっころんだんです。

道路の沿道に、道路側が少し低くなっているところ(駐車場前など)ってあるじゃないですか。

そこを通過した時に、片方の補助輪が浮いてしまって、バランスを崩して転倒したんです。

遥か前を走っていた、兄とその友人たちは、私が転倒したことに気づかず、私はそこで置いてけぼりになってしまいました。

辺りは暗くなる一方だし、転んだショックもあって、今自分がどこにいるのか?分からなくなってしまいました。

「迷子」になったんです。途方に暮れて、泣きわめいたような気がするのですが…

はす向かいにあった、布団屋に入って、おばさんに家に電話をしてもらいました。

電話番号を覚えていたのか?それとも、おばさんが

「近江屋(母の実家の呉服屋)さんの孫だ」って、気づいてくれたのか?は分かりませんが、

結局、その布団屋に迎えに来てもらって、無事に家に帰ることができました。

この迷子は、「俺たちについてくるな」と言われたにもかかわらず、一人で勝手についていって、

自分の「距離」を超えてしまった。そこで、事故って、結局、戻ってこれなかった。

ってことです。

 

沢木さんの言うこの「距離」は、人類初の素潜り100mを超えた、映画「グランブルー」でお馴染みのジャック・マイヨールのようなダイバーにとっての「距離」と似たものともいえるかもしれません。

ここまでなら潜っていける。ここから先に突っ込んでしまうと、酸素が足りなくなって戻れなくなってしまう。みたいな。

この深度での潜水って、酸素が足りる、足りない。肉体は持つのか?という物理的なことだけでなく、「もし、戻ってこれなかったとしたら?」という恐怖とどう向き合うのか?という精神的な面もかなり要求されるようなんですよね。

命を懸けているダイバーと一緒にするなよ!って話なんですが、

5歳の私にとっては、実家から1キロ弱離れた所が、限界地点。「エンド・オブ・ザ・ワールド」だったのです笑

でも、年を重ね、補助輪が外れ、その布団屋が何でもない距離になっていきました。

 

「距離」を伸ばすということは、成長の証です。

言うまでもなく、ビジネスにおいても同じです。

仕事で厳しい局面に達した時も、どこまで上司や先輩にゲロらずに、進めることができるのか?

その「距離」が成熟度の証の一つになります。

そのゲロるタイミング=助けを求めるタイミングが遠ければ遠いほど、その仕事を背負って走っている距離が長いということです。

逆に、早めに簡単にゲロってしまえば、自分で背負っている距離が短くなってしまいます。

もちろん、一人で背負う距離を見誤って事故ってしまうよりは、早く助けを求める方が組織としては良いかもしれませんが、

事故をビビって、遠くまで一人で抱えて走ることができない。

そんな状態が続いていると、いつまでたっても、1人前になることはできないのです。

距離を延ばすという意識というのは、旅のみならず、ビジネスにおいても変わらずに大切なのです。

 

どんなチャレンジにおいても、「距離を延ばし続ける」という意識が大切で、それが成長に繋がります。

常にチャレンジをし続けるのであれば、人生は、自分の距離を延ばし続ける「旅」と言っても良いのかもしれません。
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【今日のうねり】
チャレンジとは、自分の距離を拡張しようとする営みだ。
それは、旅であろうと仕事であろうと全部同じ。
その距離はむやみやたらに延ばすことはできない。適当にやっても、どうせ走れないのだから、一歩ずつ確実に延ばしていかなければならないのだ。
常にチャレンジをし続けるのであれば、人生は自分の距離を延ばし続ける「旅」と言えるのだ。