言葉の宝石を見つける方法。

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令和3年4月18日  今日もクルクル通信961号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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より良い人生を歩むには、自分自身の辞書を編纂し続けると良いだろう。

そのためには、良質な言葉に触れ続ける。辞書編纂者のように「用例編集」を続ける意識があるとよいのではないか?

昨日、そんなことを書きましたが、今日も続けます。

良質な言葉に触れる、最もポピュラーな方法は、

読書、テレビ、映画。あるいは、人の会話を見聞きすること

だとは思いますが、実は、

人との対話

も、有用な方法だと思います。

対話の中で、相手から貰った言葉から新たな発見があったり、

相手から投げかけられたことに対する答えとして、自分では思いもよらないような言葉を発することがある

からです。

そんな思いもよらない言葉は、自分にとっては大きな発見であり、自らの辞書の中核をなす、基本語になることすらあるのです。

 

インタビューの名手とも言われる、沢木耕太郎さんは、インタビューについて、次のように書いていました。
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インタビューには相手の「知っていること」を喋ってもらうという側面と「知らないこと」を喋ってもらうという側面の二つがある。

「知っていること」を喋ってもらうだけでも大変なことだが、その上に、当の相手も意識していなかったような感想や挿話を引き出すのは至難の業である。

しかし、さまざまな幸運にめぐまれ、時として思いがけない言葉のいくつかを耳にすることができる。まさにそれこそが、インタビュアーの喜びにほかならないのだが、

それらの言葉の宝石のようなきらめきも実は瞬間的なものに過ぎない。

ひとたび口に出してしまえば、それは明確に意識された、「知っていること」になるからだ。

そして、もしその相手が地名の人士なら、引き出すことのできた言葉の輝きが深ければ深いほど、他のインタビューはでも繰り返し使われ続けるかもしれないからだ。
(「使い古された言葉ではなく」より抜粋)
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これは、沢木さんが36歳の時に書いたエッセイなのですが、凄すぎですよね。

既に、ここまでインタビューについて言語化されているのですから。

後に(いや、既に当時から?)、インタビューの名手と言われるのも無理もありません。しかるべきことなのでしょう。

きっと、沢木さんのインタビューを受けた多くの人は、

ついつい、自分の「知らないこと」までしゃべってしまったのでしょう。

(沢木さん側から言えば、相手の「知らないこと」を引き出していたのでしょう。)

実際に、彼と仕事をしたNHKのテレビディレクター国分拓さんは、「イルカと墜落」という、沢木さんの書籍の「あとがき」に、
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(中略)
「私」ノンフィクションは沢木さんは無類の聞き上手の上に成り立っているのだと思う。

僕は親や親友や妻にも話したことがないような事を、沢木さんに喋ってしまっている自分に気付き、愕然とした。

沢木さんは相手の心を開かせる魅力と話術を持っているのだ。
~~~

と書いていました。

余談ですが、この国分さんという人も、半端ない人でした。この「あとがき」に痺れてググって知ったのですが、

TV番組の取材をもとに書いた「ヤマノミ」で、「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞してしました。沢木さんが、「テロルの決算」で受賞した賞と同じものです。

 

さて、皆さんの周りにも、

ついつい、家族にも話せないようなことをついつい喋ってしまう人。

思いのよらぬことが引き出されてしまう人。

っていませんか?

そんな人との対話というのは、相手と話しているようで、

実は、自分自身と対話をしている

のではないか?って思うのです。なぜなら、

相手に問われたことに対して、どう回答すればよいのか?

相手に聞いてもらいたいこと、本当に伝えたいことって、これなのか?別のあるのではないか?

そんなことを自問自答し、自分の中に深く潜り込んでいく。

そんな感覚があるからです。

そうした営みの中で、思いがけず自分にとっての「宝石」を見つけることもあるのです。

もちろん、このような良質な対話が滅多に出来ることはありませんが。

そんな言葉の宝石を発見することができれば、それは、自分自身の辞書の「基本語」となり、辞書の大きな書き換えをもたらす。

つまり、自分自身が大きく変化することがあるように思うのです。

だからこそ、対話も辞書編纂において、大切な営みではないか?

って思うのです。

 

沢木耕太郎さんは、このエッセイにこんな話がありました。

その昔、山田洋次さんのインタビューを通して、彼が引き出した、言葉の宝石を切り口に彼の人物論を書いたことがあったそうです。

それを書いてから、6年後に思わぬ批判をされた。

それはどういった批判かというと?

沢木耕太郎が、その人物論で書いている話は、自分もインタビューで聞いたことがある。

そんな何度も使われるような話をもったいぶって用いる人物論などはどうかと思う。

というもの。

それに対して沢木さんはこう書いていました。

当時彼が引き出した、山田洋次さんの言葉は、彼の最も新しい表現だった。

それ以後、インタビュアーが同じ話を語られてしまうのは、恥ずべきことなのではないか。

インタビュアーは、インタビューの当の相手と戦うと同時に、その人物を以前にインタビューしたことのある誰か、

またそれ以後にインタビューするであろう誰かとも戦っているはずなのだ。

と。

やはり、一流の聞き手との対話を通してでしか、辞書の更新ができないことがあるようなですね。

 

対話をした相手が「知らなかった」ことまで引き出してしまうような、聞き上手ならんと願いつつ、

対話を繰り返し行くのです。
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【今日のうねり】
辞書編纂の有用な方法として、対話がある。
なぜなら、良質な対話においては、先方から投げかけられる言葉による発見があり、何よりもそこで、自分が思いもよらないような言葉を発見することがあるからだ。
それは「言葉の宝石」とも言え、そんな言葉は、自分辞書の基本語になり、辞書全体を書き換えてしまうことがあるのだ。
その辞書の書き換えこそが、自分自身の大きな変化をもたらすのだ。
相手に、そんな言葉の宝石を発見して差し上げられるように、聞く力を磨きために、対話を繰り返していくのだ。