言葉の湖に水を注ぐ。

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令和3年4月19日  今日もクルクル通信962号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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対話は、良質な言葉に出会う有益な方法の一つ。

優れた聞き手と対話をしていると、時に自分でも思いもしなかったような言葉を引き出されてしまうことがあるから。

その言葉は、言葉の宝石とも呼べ、自分の行動に大きな変化を与えることすらある。

昨日そのように書きましたが、今日も続けます。

このように書いてしまうと、

優れた聞き手と出会えさえすれば、良質な言葉を発見することができるんでしょ?

会わせてよ。楽で超いいじゃん!

なんて、思う人がいるかもしれませんが、当然ですが、そんなことはありません。

聞き手ありき、どころか、真逆の、話し手ありきの方法です。

どんなに聞き手が優れていようと、

自分の中にないものはない。ないものは語れないのですから。

対話をしているテーマに対して、自分が考えたことがある。あるいは、考え続けている。

これが、前提なのです。

そのテーマは、もちろん対話によって変わります。

ぶち当たっている壁の突破方法について、ということもあるでそうし、

将来の自分はありたい姿、ということもあるでしょう。

はたまた、職場の人間関係かもしれないし、

運命の人との巡り会い方、ということもあるかもしれません。

いずれにしても、当該のテーマについて考えたことがなければ、語りようがないのです。

考えることは、言葉にすることですから、

一定上の言葉が自分の中にないと始まらないのです。

たとえ、それらの言葉が曖昧模糊としていて、整理がついていなかったとしても、一旦は問題ありません。言葉があることが大事なのです。

そんな状態で優れた聞き手と対話をするからこそ、瞬間的にその言葉が結び付き、それらを統合する言葉を編むことができる。

そんな機会に恵まれることがあるんだと思います。

滅多に巡り合える瞬間ではないですが、巡り会えると、

「それだ!」ってホントに膝を打ってしまう瞬間になるのでしょう。

こんな対話は、これはまた、沢木耕太郎さんの言葉を借りれば、
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格闘技のプレイヤーたちが優れた対戦相手を持った時に通常とは異なる力量を発揮するのに似たところがある。自分以上の自分になる契機を与えられる。
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ということかもしれません。

自分以上の自分になるための力を蓄えておかなければ、言葉に出会うことはないのです。

つまり、格闘技プレイヤーが日々ハードなトレーニングをするかのごとく、日々、考える。言葉に触れ続けることが必要なのです。

筋肉が一朝一夕で身に付かないように、言葉もまた、簡単には身に付かないのです。

沢木耕太郎さんは、
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インタヴュアーの役割のひとつは、相手の内部の溢れ出ようとしている言葉の湖に、ひとつの水路をつなげることなのかもしれない
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とも書いていましたが、これに倣えば、自分の中の言葉の湖に一滴一滴、水を貯め続けるしかないのです。

確かに、途方もない営みかもしれませんが、続けてさえいれば必ず湖に水は貯まっていきます。

水を貯め続けているからこそ、優れた聞き手と出会った時に、一本の水路が生まれ、一気に水が流れ出すのです。

そこで、思いもよらない言葉の宝石に巡り合えるのです。

 

読書、テレビ、映画を見て、人との対話をし、記行する。言葉の湖に一滴ずつ水を注ぎ続ける。

日々のこの営みを続けた者だけが、言葉の宝石を沢山ゲットできるのです。

(※二つの引用は、沢木耕太郎さんの「言葉の湖に水路をつなぐ」から)
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【今日のうねり】
対話は良質な言語をゲットする、貴重な機会である。
しかし、自らが考え続けている、言葉にし続けているという前提があってこそなのだ。
それをせずして、優れた聞き手と対話をしても、決して言葉の宝石には巡り会えない。
なぜなら、ないものはないからだ。
言葉の湖に一滴一滴水を注ぎ続けたものだけが、言葉の宝石に数多く巡り会えるのだ。

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