「世界に3人とか」の奇病に打ち勝つ

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令和3年4月25日  今日もクルクル通信968号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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1950年代には、「世界に3人とかの奇病」と言われた、落葉性天疱瘡(らくようせいてんぼうそう)。

「これが治ったら奇跡だ」と、当時の東京帝国大学医学部の医学博士が匙を投げたとも言わたそうです。

この病気は、天然痘によく似た皮膚病で、全身にカサブタができて、カサが落ちると膿と血が出る。全身を苛むような痒みが数分おきに襲うようです。

聞いただけでも辛いです。

しかもです。闘病2年目に、看病疲れで奥さまが急死という災難にも見舞われる。

そんな物語でもなかなかお目にかかれないような、惨憺たる状況になりながらも、「奇跡」を起こし、

日本の総理大臣にまで上り詰めた人がいるんですよね。

第58代総理大臣、池田勇人です。

池田勇人=所得倍増計画。

それ以上のことは一切知らなかったのですが…このエピソードに触れて、鳥肌が立ちました。

そもそも、病気がなかったとしても、総理大臣になるようなキャリアの人ではなかったそうです。

彼はキャリアをスタートした大蔵省でも、完全に傍流。総理大臣はおろか、事務次官なんて夢のまた夢。そんなポジションだったそうなんです。

当時の大蔵省は、旧制第一高等学校から、東京帝国大学。そして、高等文官試験を上位でパスした人が行くような場所。

一方で、池田勇人は、第五高等学校から京都帝国大学出身という学歴。

(これでも十分凄いと思うのですが…全然エリートではなかったみたいです。恐ろしい世界です)

入り口の段階で既に相当なビハインドだったようです。

 

エリート集団の大蔵省の出世街道には3種の切符があると言われていたみたいです。

鉄道の1等2等3等の切符が、白、青、赤となっているのになぞられて、

白切符組、青切符組、赤切符組

と、呼ばれていたらしいです。

早くから、ロンドンやニューヨークなどの海外に財務官として派遣されるのが、白切符組。

地方の税務署長をし、早めに本省に引き上げられるのが、赤切符組。

そして、長く地方回りをさせられて、下手をすると、そのまま地方の出先機関の局長や税関長。ということもあり得た、赤切符組。

当然、池田勇人は、3等の赤切符組だったそうです。

赤切符組だった上に、奇病に見舞われ、5年のキャリアの中断。

大蔵省では休職期間は2年だけだったそうなので、退庁を余儀なくされました。

(初めて風呂に入ることができたのは、発病してから5年目のことだったそうです)

そこから、奇跡的に病気に打ち勝ち、社会に復帰ができるようになりました。

大蔵省には戻ることができないから、民間企業に入って頑張ろうと思っていたところ、

たまたま、先輩が声をかけてくれて、大蔵省に復帰することができたそうです。

非常に低い地位での復活だったそうですが、そこから彼は一心に勉強したらしいです。

大蔵省に復帰するだけでも、十分に「あり得ない話」だと思いますが、総理大臣になるという更なるミラクルは、どうやって起こったのでしょうか。

一番大きかったことは、敗戦だったそうです。

第二次世界大戦での敗戦が、今まで「敗戦」続きだった池田勇人の運命を変えたそうです。
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それまでマイナス札に過ぎなかったものが、一挙にプラスに転化した。

出世が遅れたことで、後輩たちに親しみを持たれ、いつの間にか彼の周囲には多くの人が集まるようになっていた。

税務畑を専門に歩いて来たため、多くの産業指導者と知己になることができていた。

しかし、出世が遅れ、税務畑を専門に歩いてきたことが決定的なプラスに変わったのは、

公職追放の嵐が大蔵官僚の下にも吹き及んだときだった。

嵐がやんだ後で気がついてみると、彼の前を走っていた秀才たちは全て消えていたのだ。

大蔵大臣だった賀屋 興宣はもちろん、事務次官だった同期の山際正道も、銀行局長だった迫水久常も追放されてしまった。

いまや池田が大蔵省における出世レースの先頭銭湯の走者だった。

そして、1947年、石橋湛山が大蔵大臣のとき、大蔵官僚としての最高位である事務次官になった。

(沢木耕太郎の「危機の宰相」P96より抜粋)
(読みやすさを考え、筆者(中田)が改行))
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事務次官を1年勤めた後に、佐藤栄作の勧めもあって、第24回総選挙に広島から出馬。トップ当選!!

さらに、第三次吉田内閣で大蔵大臣にまでなってしまったそうです。

マジであり得なくないですか?

「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い出さずにはおれませんよね。

この池田勇人の話に触れて、思い出したのは、佐藤栄作元首相が、若き日の竹下登元首相に送ったと言われるメッセージです。

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政治家の世界は100メートル競争ではない。マラソンだ。
最初から優勝しようと思うな。
自分のペースで走れ。自分の身柄に合った早さで、自分の心臓の強さに合わせて走れ。
トップランナーは、子供の投げたバナナの皮にすべって転ぶ。
二番手と三番手は、あまりに競い合って、コーナーを曲がる時に身体がぶつかり、二人でひっくり返って、アキレス腱を切る。
四番目の走者は下痢になって、テープの100メートル前で、もれそうになってしゃがんでしまう。
そうすると、竹下君、十番目、二十番目では困るが、五番目くらいのところにぴったりつけていけば、
最後に君が勝つことになる。
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もしかしたら、池田勇人は、10番目くらいにつけている状態からの勝利だったかもしれませんが…

本当に、人生は何が起こるかわかりません。

良いことも悪いことも起こります。

苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。

たとえ、苦が続いたとしても、へこたれずに、愚直に目の前のことに全力投球をし続ける。

そうした者だけチャンス(楽)が訪れるものなんですよね。

 

池田勇人の政治家としての功績や評価は、分かりません。

でも、これほどの艱難辛苦を乗り越え、総理大臣になった方ですから、「一角の人物」だったに違いないのでは?って思うんです。

スラムダンクの安西先生の

「諦めたら、そこで試合終了ですよ」

じゃないですけど、

粘り強く戦い続けることの重要性を改めて突き付けられました。

さいとうたかをの「大宰相」でも読んでみようかな笑
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【今日のうねり】
人生、苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。
どんな困難にぶち当たろうとも、決して折れることなく、立ち向かい続ける。しのぎ続ける。
そうしたものだけに、チャンスが回ってくるのだ。
数多くの人生に触れ、自らのエネルギーに変えるのだ。

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