「仕事」の前に「生きること」。唯一無二のカギ。

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令和3年4月27日  今日もクルクル通信970号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日一昨日と池田勇人元総理大臣にまつわる話を書いてきました。

別に、池田勇人に興味を持っていたわけではありません。もっぱら縦読み中の、沢木耕太郎さんに作品の中に彼が登場してきただけなんです。

2006年に出版された、『危機の宰相』の主人公の1人が池田勇人でした。

これは、彼が言い続けた「所得倍増」をテーマにした作品ですが、

なぜ2000年代になってからこの作品が出版されたのか?がずっと疑問でした。

その一番大きな理由は、

彼の出世作であり、1960年の浅沼稲次郎刺殺事件をテーマにした『テロルの決算』が1978年に出版されていたから。

同じ1960年代のネタを扱っているにもかかわらず、『危機の宰相』は、それから30年以上も経てから書き上げられたのか?

近接テーマとも言えなくもないから、なんで続けて出版されなかったんだろう。

これがずっと疑問だったんです。

この作品を読み進めれば、その謎が解けるのかも?と思いつつも、一向にその気配もありませんでした。

別に、2000年になってから新たに発見された事実を取り入れているわけでもないですし、文体としても、その直近の作品とは違う。むしろの彼の初期の作品のスタイルに近いのになぁ、なんて思いながら読んでいました。

さすがに、時系列で全作品を読み進めると、それぐらいのことは感じられるようになるみたいです笑

結局、本編を読み終わっても、その疑問が解けることはありませんでした。

でも、最後の最後で、その疑問が一気に解消されることになりました。

それは、「あとがき1」に書き表されていました。

なんと、『危機の宰相』は初出は、『テロルの決算』よりも先の1977年だったんです。

1977年に文藝春秋に原稿用紙200ページ分が一気に掲載されていたそうです。

(しかも、1.5か月で書き上げたらしいです。どんだけ早いんすかね)

「えっ、ちょっと待て。これが『テロルの決算』よりも先だと?

じゃあ、なんで、77年にオリジナルが出ているのに、書籍化が2006年なんだ?」

一瞬、ここでますます疑問が深まりましたが、すぐに、それも解消されました。

実際、1977年にこれを掲載した後、手直しをして、書籍化することができたそうです。

でも、当時取り掛かり始めていた、『テロルの決算』に気持ちは傾いていた。彼の言葉を借りれば、
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すでに書いてしまったものを整理するよりも、未知のものにぶつかっていく方がはるかにスリリングだった
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そうです。

そうして書き上げた『テロルの決算』の方が、満足する仕上がりになったので、結果的にこちらを先に出版することになったようです。

この作品で「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞。ここでも『危機の宰相』を手直しして、出版するチャンスはあった。

でも、次に取り掛かったのは、心が反応していた、『一瞬の夏』。『危機の宰相』がまた後ろ倒しになっていってしまった。

その後も、何度か、単行本化するチャンスはあったらしいのですが、そこでも、ついついやりたい仕事を優先してしまって、気づいたら29年の月日が経っていた。

結局、今までのノンフィクション作品をまとめた、『沢木耕太郎ノンフィクション』を刊行するにあたって、25年以上の時を経て一気に書き上げたそうです。

てか、よく29年前の作品を、書き直すことができますよね。とも思ってしまいますが笑

ちなみに、77年以降に入手できた情報は一切加えない。書き加えるとしたら、全て「あとがき」に。という方針で、書き直したそうです。

 

結局、私が知りたかった、出版が29年も後になってしまった理由は、

この作品の単行本化よりも、取り組みたい仕事が次々と現れてしまったから。

ということになります。彼の言葉で、言い表すと次のようになります。
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もし私が『危機の宰相』を優先していたら、今の私と質の違う書き手になっていたことだろう。

様々な形で歴史を語るという方向に行ったかもしれない。

あるいは、仕事を仕事として書くという、まさにプロフェッショナルな書き手になっていたかもしれない。

しかし、私は「書くこと」の前にまず「生きること」があるという書き手の道を選んだ。

間違いなく『危機の宰相』は岐路だった。『一瞬の夏』の方に進むが『危機の宰相』に側に向かうか。私は選ぶという意識もないままに、『一瞬の夏』の方向を選んでいたのだ。

もちろん、だからといってそのことに悔いがあるわけではない。
(『危機の宰相』あとがき1より抜粋。改行/太字は筆者(中田)が実施))
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しかし、私は「書くこと」の前にまず「生きること」があるという書き手の道を選んだ。

いやー、かっこよすぎです。かっこよすぎですよ、沢木さん!

痺れましたよ。

「生きること」とはどういうことなのでしょうか?

自分の興味深いと感じること、自分が惹かれることに反応していくこと。

言い換えれば、

本能に従って行動する。自分の楽しいを最優先で行動する。

と言えないでしょうか。

でも、「生きること」を最優先に行動されてきたからこそ、

歴史も、スポーツも、映画も、書評も、紀行も、エンタメも。フィクションも、エッセイも。

ジャンルにとらわれない、何でもありの唯一無二の書き手になったのではないか?

僭越&勝手ながらそんなことを思ったのです。(やや拡大解釈か!?)

 

こんな話に触れると、やっぱり思い出してしまうのが、スティーブ・ジョブズのあのスピーチ。

「most important, have the courage to follow your heart and intuition」(自分の心と直感を信じて心に従う勇気を持て)

です。

どうも私は、「生きている」人惹かれてしまうようです。
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【今日のうねり】
自分の興味関心を何よりも大事にする。仕事の前に人生がある。仕事よりも生きることを大事にする。
この姿勢で仕事をし続けるから、結果的に模倣困難、代替不可能な存在になれるのだ。

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