風呂派?シャワー派?エッセイ派?ビジネス書派?

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令和3年5月6日  今日もクルクル通信979号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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端午の節句ということで、昨晩は、自宅の風呂に菖蒲を浮かべ、菖蒲湯に浸かりました。

いやー、めちゃ気持ちよかったです。

よくよく振り返ってみたら、今の家の風呂に入ったのは、これが初めてのことでした。

今のマンションに住んで、もうすぐ4年になりますから、4年目の初体験ということになります笑

シャワー派なんですよね。

「シャワー派」と言うと、

「寒くないですか?体、温まらなくないですか?」

って聞かれることがありますが、その度に、

「いや、そんなこと全然ないっすよ!!浴室に入る少し前に暖房をつけて、直前に熱湯のシャワーを出して、十分浴室が温めておく。

その状態で浴室に入れば温かいし、そこに熱めのシャワーを浴びれば、十分だよ。速いし」

なんて答えていました。

ですが、

全て撤回させていただきます!笑

風呂は全くの別物でした。

温まり方が全然違いました。

体の芯から温まりました。

それを特に実感したのは、風呂を出た後でした。

パジャマに着替えて、ストレッチポールに乗って、逆立ちして、読書をする。いつものルーティンをしている最中も、何なら汗ばむほど、体が温まり続けていました。

その持続力が違いました。

果たしてこれが、「無病息災に効く」と言われる、菖蒲の効果効能なのか?は分かりませんが、

ちょっとハマってしまそう、原点回帰してしまいそうです笑

 

そんな今年一番のポカポカを感じながら、

風呂とシャワーの違いは、読書の学びにもあるのではないか?

具体的に言うと、自伝やエッセイ、小説や古典とビジネス書の違いと同じなのではないか?

なんて思ったのです。

今年に入ってから、自称の「モラトリアム期」あるいは、「サバティカル休暇」を送っており、

ここ数年全く読んでいなかった、エッセイやノンフィクションあるいは自伝を読み漁っています。

まあほとんど沢木耕太郎ですけど笑

これらの読書を通じて得られる学びは、「風呂」に近く、

一方で、それまで読みまくっていた、ビジネス書は、「浴室暖房入りのシャワー」に近い

と感じたんです。

どういうことか? 例えば、「聞く力」について考えてみます。

営業やコンサルタント。ドクターや建築士。いや職種を問わず、お客様と対峙するすべての仕事において、聞く力が欠かせないことは言うまでもありません。

その中でも特に大事なことは、

お客様が気づいてもいないような、未だ充足されていないニーズを掘り当てること。

と、例えば、マーケティング系のビジネス書なんかでは書かれていますよね。

それをお客様に示すことができたとしたら、

「そんな商品があるなら欲しい!!売ってくれ!!」となりますから、メガヒットが期待できる。

と。

では実際に、どうやってそれを掘り当てるのか?

お客様から聞き出すのか?

その方法論については、明示されていることはほぼありません。

一方で、表現は全く違いますが、インタビューの名手と言われる、沢木耕太郎さんは、インタビュー話を通して、これと同じ話をしています。
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インタビューには相手の「知っていること」を喋ってもらうという側面と「知らないこと」を喋ってもらうという側面の二つがある。

「知っていること」を喋ってもらうだけでも大変なことだが、その上に、当の相手も意識していなかったような感想や挿話を引き出すのは至難の業である。

しかし、さまざまな幸運にめぐまれ、時として思いがけない言葉のいくつかを耳にすることができる。まさにそれこそが、インタビュアーの喜びにほかならないのだが、

それらの言葉の宝石のようなきらめきも実は瞬間的なものに過ぎない。

インタビューとは、本人ですら気づきもしなかったことを引き出す。
(「使い古された言葉ではなく」より抜粋)
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実際に彼がどのように言葉の宝石を聞き出しているのか?

例えば、会話だけで全編が書かれている「流星ひとつ」という小説を読めば、その方法を具体的に知ることができますし、

あるいは、第三者が語った沢木耕太郎像について読むことでも、薄っすら感じることができるんです。

もちろん、これらの話は別々の書籍に書かれていることですから、少なくとも数冊以上は読まないと学ぶことができませんが、

そうして、学んだ「聞く力」は、同じ話だったとしても、体への響き方が全く違うんです。

それこそ風呂のように体の芯からじんわり温まる。

読み終えた後もしっかり、その熱が体に浸透していく、ずっとその効果効能が続く。

そんな感覚がそこにはあるんです。

一方で、ビジネス書に書かれている知識は、言葉としては体には残っていますが、血肉になっているのか?というと正直微妙なこともありますよね。

その観点で言えば、体が温まった気になっている、シャワーと近いって感じたんです。

もちろん、シャワーの方が、簡単に体を洗い流せて、温めることもできるので、時間がない人にはバリューがあります。

しかし、もし仮に潤沢に時間があるとしたら、あるいは、深い学びを求めるのであれば(時間を十分に投資して良いならば)

自伝や評伝、エッセイ。あるいは小説。古典。名作。

といった、どんな学びがあるかどうか?も事前には分からない。でも、何かがたぶんある。そんな読書に時間を投じるのもいいのかもしれませんね。

別の例えで言うならば、

栄養素だけを抽出した、気軽に飲めるサプリメントではなく、とれたて野菜に魚を調味料控えめで丸ごと食べる。そこから、栄養を分解して取り入れる。

ようなものかもしれません。

いずれにしても、風呂も栄養も読書も。

時と場合と目的にあわせて、上手に手段を組み合わせて行けるとよいですよね。

中でも、許すのであれば、深い学びに時間を投じたいものです。
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【今日のうねり】
自伝やエッセイ、小説を読むことで得られる学びや気づきは、ビジネス書のそれとは全く別物だ。
圧倒的に、効果効能が優れている。
ただし、どんな効果効能があるのか?そもそもあるかどうかも分からないのが難点ではあるが。
なので、時間が潤沢にある、あるいは深い学びを得たいのであれば、ビジネス書ではなく、これらの時間を投ずると良いのだろう。
それは、風呂のように体を芯から温めてくれる。深い変化を自らにもたらしてくれるのだ。