1本の線の上を歩けていますか?

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令和3年5月13日  今日もクルクル通信986号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日公園で小学校1年生くらいの男の子が、かけっこの練習をしていました。

お父さんが一緒にいて、

「もっと腕を振って!前に出すんじゃなくて、後ろに引くんだよ。こう!!」

とか、ジェスチャー付きで指導をしていました。

なかなか見ない光景なので、ついつい見入ってしまいました。

何本か走っていると、

最初は全然振れていなかった腕が、ちょっとずつ振れるようになり、合わせるように少しスピードが上がったような気もしてきました。

「いいよ!!いいよ!!早くなってるぞ!」

手を叩きながら息子を褒めるお父さんと、ハニカミながらそれに満足する、息子さん。

なかなかいい光景です。

すると、缶コーヒーを飲みながら一服しているトイレ清掃員の方が、

「いいねー。一ついいか?おじさんから言わせてくれ」

と割って入っていきました。

「為末大っているだろ?知ってるか?

彼が、子供が走る時に大事なことは、1本の線の上を走るってことだ。

って、NHKラジオで言ってたんだけど、

まっすぐ走るのが意外に難しいんだってさ。それがちゃんと出来るだけで、かけっこが早くなるらしいよ。

ちょっとやってみなよ」

って、お父さんに言いました。

ちょうどその公園のアスファルトには、それを七仕切るような線が引いてあり、お父さんが、息子にその上を走るように言いました。

素直にその上を息子が走るのですが…やってみると難しいのか??安定して線の上をまっすぐ走ることができないんです。

右に左にずれます。

それを数回繰り返してるうち、やっとまっすぐ走れるようになってきました。

その姿を見ると、腕も振れていなかったビフォアに比べると、明らかに、息子の足は速くなっていました。

「カッコいいじゃん!!これからも、走る時は一本の線の上を走ることを意識してよ」

清掃員もめちゃ満足した様子でした。

それに気分を良くしたのか?彼は、そのお父さんに、

「俺さ、ずっと車で移動しているから一日中NHKラジオを聞いてるんだよ。今さ、コロナの影響で、健康ネタがホントに多いんだよね。

疲れってどこから来るか知ってる?心なんだってさ。

疲れって精神的なものしかないんだって。肉体は疲れ知らずらしいよ。

「疲れた」って感じた時は、深呼吸するのがいいんだって。

しかも、息を吸うことよりも吐くこと。こっちの方が大事なんだって。細く長く息を吐くんだってさ」

他にも、NHKの回し者??ってくらい、そこで得た知識を披露し続けていました笑

 

一本の線の上をまっすぐ歩く

その昔、通ったことがある、デューク更家のウォーキングスクールでも、同じことを言われました。

目の前に1本の線が引かれていることを想像して、その上を歩く。

頭のてっぺんを糸で引っ張られているような感じを意識して。

って彼も言っていました。

そこに通っていた頃、歩く時はいつも、彼の言葉を自分に言い聞かせていました。

これは決して簡単なものではありませんでした。

なので、公園の息子さんが、まっすぐ走れないのも無理もないとも思います。

でも、教室に通わなくなり、1週間が経ち、2週間が経ち、1ヶ月も経ったあたりから、デュークの言葉は頭から消えていきました。

デューク更家が召喚されることはなくなりました。もちろん、その正しい歩き方を習得できた訳でもないのに。

言うまでもなく、私は正しい歩き方を身に着け損ねました笑

 

でも、デューク更家を召喚できていた時、つまり彼の言葉が脳内を回っていた時は、正しいフォームで歩くことができていたと思います。

できるorできないってのは、あるいは、できなかったことをできるようにするには、

言語でその方法を自らに伝え続けなきゃいけないってことですよね。

その言語を忘れても、それができるようになるまで、言い続けるしかないのです。

途中で止めてしまうから、身に付かないのです。

正しい歩き方にもそのレシピがあるんですよね。

生まれながらに正しく歩くことができる人は、そんなレシピは必要ありません。

糸で頭のてっぺんを引っ張られているような感じで、1本の線の上を歩く。

とか。

足は、かかとから着地して、つま先で蹴りあげるんです。

とか。

そんな言語がなくても、正しく歩くことができるんです。

(そもそも、そんな人がいるのかどうか?ってのは分かりませんが)

英語のネイティブスピーカーが、

heが主語の時は、動詞にsをつける

なんてことを意識することなくやっているのに、

我々は必死で、

三人称単数現在には動詞にsをつける

って呪文のように唱えながら、それを覚えましたよね。

そして、テストが終われば忘れて行ったのですが…

 

振り返ってみれば、身に着けたことの多くは言葉を用いて身に着けたんです。

例えば、食事の時のマナーもそうですよね。箸の持ち方、左手は器に添える。椅子とテーブルの距離は、おへそから拳一個分、などなど。

それを来る日来る日も言われ続けることによって、身に着けていきましたよね。(私は祖父にめちゃうるさく言われました)

そして、言われることがなくても、できるようになると、何も言われなくなりました。

最初は言葉を用いなければできなかったことも、できるようになればそれらの言葉が要らなくなるのです。

躾けは全て言葉で行われていたんです。

言葉なくして、正しく何かを身に着けることなんて、できないのです。

だからこそ、言葉にする力は大事なのです。

あの公園の少年は、学年で一番かけっこが速くなるのでしょうか。

腕を引き、一本線の上を走り続けていればチャンスはあるはず。そう信じたいところです。
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【今日のうねり】
何かを身に着けるためには、言葉が欠かせない。
できなかったことをできるようにするには、その方法を言葉で言い続けるしかないのだ。
言い続け、ある時、言葉がなくてもできるようになる。そこまでいって初めて「身に着けることができた」と言えるのだ。
言葉にする力はめちゃ大事なのだ。