「そこで3分立っていてください」警察官に呼び止められました。

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令和3年6月28日  今日もクルクル通信1032号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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歩いていると、目の前に警察官が立っていました。

何やら、橋の下を走っている、首都高速を見ているようでした。

良く通る道ですが、あんなところに警察官が立っているのが初めてだったので、「事件でもあったのか?」と思い、同じように高速道路を見てみました。

でも、特に変わった様子もありません。

マスクをしていなかった私は、「マスクしてください」と、注意されるのにビビりながら、やや早歩きでその場を通過しました。

お咎めなしだったので、ホッとしていると、50メートル先、100m先に、つまり50メートル間隔で警察官が立っていることに気が付きました。

「何だこれ?」って思っていると、一番近い警察官がこちらに走ってきます。

「えっ、何だよ、これ。変な事件でもあったら嫌だよ」なんてびくびくしていると、

「すみません。ここで立ち止まってもらっても良いですか?3分ぐらいで構いません」

と依頼をされました。

「えっ、はい。分かりました」と答えると、彼は、

「ご協力、有難うございます。今から、天皇陛下はここを通られるんです

と言いました。

そんなことを言われたら、止まるしかありませんよね。

確かに、そこは皇居のすぐ近く。皇居ランナーが走っている対岸の道ではありましたが、こんなところを陛下があるのかよ??

って、内心思いながら立っていると、

「あっ、失礼しました。天皇陛下じゃなくて、平成上皇です」

と、警察官から訂正が入りました。

大勢に影響は全くありませんが、口が滑って、ついつい、

「そうなんですね、ご丁寧に有難うございます。本当にこの道を通られるのでしょうか??」

って、真顔で質問をしてしまいました笑

「はい。ほらっ、あそこに見えてきたじゃないですか」

彼は、高速道路を指差しながら、そう言いました。

目を向けると、確かに、先頭にパトカー。その両脇に白バイ。その後ろに、黒塗りのトヨタ車が二台。それらをサンドイッチする形で、もう一台のパトカーが走ってきました。

その一団の通過を確認すると、

「暑い中、ご協力ありがとうございました」

と、一言声をかけられ、その場から解放されました。

その後、皇居の門の前を通ると、そこには、警察官が5,6人いました。

彼らは路肩に積まれていた、柵を普及していたので、平成上皇がどこかに出掛けられて、その帰宅のタイミングだったようです。

 

そりゃ、そうですよね。平成上皇は、うかつに歩道を歩くわけがありません。移動は車に決まっていますよね。

でも、その感覚がない私は、一瞬、本気で、平成上皇が、目の前を歩かれると勝手な勘違いをかましていました。

常識不足すみません笑

 

一方で、平成上皇というか、天皇陛下というか、公人の方は本当に大変ですよね

って、思ってしまいました。移動するだけでも、あれほどの警備がいるんですからね。

誤解を恐れずに言えば、

ある意味で不自由極まりないですよね。

「ちょっとコンビニ行って、トマトジュース買ってくるわ!」

ってな具合で、気軽にコンビニに行くことも許されないのですから。

もちろん、天皇陛下だけではなく、売れっ子芸能人や大企業の社長のような、パブリックパーソンは皆さん、そうなのかもしれません。

誰もが一度は、そういった「有名人」になりたい。って思ったことがあるかと思いますが、(天皇陛下にはなれませんが)

今の私は、全く思いません。

だって、不自由(そう)ですもん。

別に、悔しいからとか、嫉妬しているからとか、そういうことを一切ありません。ある時から心の底からそう思うようになりました。

気軽に動けないの、嫌ですもん。

自由に街を散歩したいじゃないですか。

そんなことを思うのも、私自身が「自由であること」を人生の大きな目標にしているからですし、

どう生きたいのか?ってことを日々考えているからだとも思います。

なによりも、こうして毎日ブログを綴るようになって、それがより明確になって来たようにも感じます。

 

先週読み終わった『重耳』に引き続き、今は、『管子』を書いたと言われている『管仲』を読んでいます。

ここに、結婚に悩んでいる娘に対してのこんな、父親のセリフがあります。
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桂(娘の名)の他に桂はいない。桂は他人の人生をまねることはできず、他人も桂の人生をまねられない。

この時代、この時、この所に生きている独りとは、どういうものであるかを考え、そういう独りが、独りでは生きられないことを想い、

この世には、上には上があることを識れば、下には下があることが分かるようになる。

そこで志が定まる。

志のない結婚は不幸を招くだけだ。

富を名誉も幻だと思った方が良い。幻に嫁してはならぬ。
宮城谷昌光『管仲』上巻より抜粋
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こういうのが、めちゃ刺さるんです。

でも、同じ書籍を読んだとしても、これに反応する人がどれくらいいるのか?は分かりません。いないかもしれません。

それでよいと思うんです。一人一人の興味関心が違うから、反応する箇所が異なっているに決まっています。

たまたま、今の私が、どんな人生を歩みたいのか?幸せとは何か?を考えているから、こういうセリフにビビっと反応しただけなんだと思います。

だとすれば、

気づきとは、心の底で思っていることや考えていることと、近しいものに出会うこと

ということができるのかもしれません。

逆に言えば、思っていることや考えていることがなければ、気づきは得られないのかもしれません。

綾小路きみまろさんは。

『しょせん幸せなんて、自己申告』

と言っていますが、自分にとっての幸せが明らかにできれば、一人一人が「幸せ」になれるのだと思うのです。
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【今日のうねり】
幸せは人によって、全く異なるのだ。ある人にとっては幸せなことが、別の人にとって、幸せであるかどうか?は分からない。
大切なことは、自分にとっての幸せは何か?を明らかにすることだ。一人一人が違ってよいのだ。
幸せは自己申告制なのですから。