分身の術を見破れ!!

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令和3年7月3日  今日もクルクル通信1037号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日は歯の定期検診でした。もちろん先生は中学同級生の柏原くんです。

本来半年に1回やるべきところを、8ヶ月ぶりとなってしまいました。

前回の診療後、「次回の予約はどうされますか?」と受付で聞かれ、「いつでも来れるので、ご連絡します」と答えたと記憶しているのですが…

いつでも来れるから

これほど、いい加減なセリフもないとも思っています。

いつでも来れるなんて言っている奴ほど、来た試しがない。

なんてことはよくありそうですからね笑

これを繰り返さないためにも、今回は次回の予約を入れさせて頂きました。

 

さて、診察台に通された後、検診を待っていたわずか数分の出来事のことです。

隣の診察台で、先生が診療していました。聞くつもりは一切なかったのですが、その患者さんの発言が強烈だったので、ついつい耳をダンボにしてしまいました。

「先生、味覚がなくなっちゃったんです。舌がおかしいんです」

から始まり、その原因が、

顎が小さくなったことにあるんじゃないか?とか、最近〇〇にかかってしまったからではないか?とか、

もしかしたら、〇〇かも。いや、あんなこともあったから、これかも。やっぱり、あれの可能性もあるかも。

次から次へと、その原因と思われることを挙げていくのです。

先生は、「検査して検査結果を見てからじゃないと何とも言えない」とを言っていましたが、それでも、列挙し続けていました。

あれ?それさっきも言っていなかったっけ?

みたいなものもあったような。

もちろん、病気にかかれば、めちゃ心配になります。それが命に関わるようなことであればあるほど、誰もが真剣に原因を考えますし、不安で頭がいっぱいになってしまいます。

一方で、考えても分からないし、どうしようもないことが多いのも事実だと思うのです。

そんな時どうしたら良いのでしょうか?

例えば、

頭にあることを全部書き出してみれば良いのではないか?

って思っています。

おそらく、患者さんはそれをやったことがないんだと思うんです。単なる推測ですが。

だから頭の中で、

あれかもしれない。これかもしれない。いや、あっちかもしれないし。はたまた、こっちかもしれない。

いや、待てよ、あの可能性もあるぞ。

みたいな感じで、考え続けてしまっているのでは!?って思ったんです。

このモードに入ってしまうと、もう止められなくなってしまいます。

しかも、数秒前に考えたことが、再び登場。でも、数秒前に登場したことすら忘れてしまっているなんてこともありそうです。

あれかも、これかも。

永遠に終わらない、もぐらたたきゲームをしているかのごとく、でも叩くことができない不安と向き合い続けることになってしまうんですよね。

そんなことが起こってしまうのは、頭の中が無限に広がる抽象空間だからです。

当然、私も、体のことだけじゃなく、仕事のことでも、過去に、このもぐらたたきゲームの経験が山ほどありますから、よくわかるのです笑

布団に入った時に、

あれが起こったらどうしよう、こんなことも起こるんじゃないか?、いや、あれもありうるぞ。てか、そもそもあっちは大丈夫か?

みたいな感じで、不安に殴られ続け、眠れなかったことが何度もあります。

『バイオハザード』や『アイアムアヒーロー』のようなゾンビ映画に登場する、殺しても殺してもどこからともなく現れ続ける、ゾンビかよって感じです。

あるいは、『ナルト』の影分身みたいな。(って、よく知らないんですが笑)

ゾンビを切り続けても、分身に攻撃し続けても、本体を見つけない限り、永遠に終わらない。

そんなエンドレスのバトルを繰り返しているようなものかもしれません。

大乗仏教の仏典の一つである、『華厳経』には、

心は巧みな画師のようにさまざまな世界を描き出す。この世の中で心の働きによって、造り出されないものはない

という言葉が書いてあるそうです。

人は、心の中というか、頭の中では無限に絵を描き続けてことができてしまうのです。

では、現実の世界で、無限に絵を描き続けることができるのでしょうか?

実際に試してみれば良いんですよね。

全然書けないんですよ、きっと。

おそらく書き出して、長くても数分で終わっちゃうと思うんです。

でも、そのわずか数分で、頭に漠然と存在していたモヤモヤが全て消え去るんですよね。

それができると、びっくりするぐらい心がスッキリするんです。

しかも、めちゃ安心もします。

心配事や不安。それらの原因が、目の前に姿かたちあるもとして、現れるのですから、当たり前っちゃ、当たり前です。

分身じゃなくて、本体のお出ましですからね。

本当にそれらを撃退したいと思うならば、一つ一つの対策を立てて、潰していけばよいのです。(もちろん、全てが撃退できるものとは限りませんが)

この書き出す方法は、書く瞑想とも言われる、「ジャーナリング」みたいなものかもしれません。

 

私の診察中に、柏原君に、「いやー、先生も大変だな」と声をかけたのですが、仕事とは言いつつも、苦笑いをしていました。

そりゃ、人の不安と向き合う仕事でもあるので、大変に決まっていますよね。

相変わらず丁寧な治療と診察に、「持つべきものは友」ということを改めて思いつつも、

人の振り見て我が振り直せ、の精神で、

不安とぶち当たった時は、とりあえず書き出してみる。

心身を安定させるためにも、これをきちっと身に着けるべし。と思ったのです。
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【今日のうねり】
頭は抽象空間だから、不安があったとすれば、無限に広がってしまうのだ。
実際は、それが2,3しかなかったとしても、無限にあるように感じてしまうのだ。それが、不安を増幅するのだ。
それを防ぐために、書き出すということが大事だろう。敵がはっきりすれば、戦い方も明らかになるのだから。
エンドレスもぐらたたきゲームに終止符を打つためにも、書き出す=ジャーナリングを身に着けるのだ。