「分からない」を禁じてみると、世界が拡がる??

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令和3年8月15日  今日もクルクル通信1080号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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今朝も目を覚ます(5時)と、本降りの雨。連日の雨。

『天気の子』かよって感じです笑

それはどうでも良いのですが、

頻繁に会うわけでも、マメに連絡を取るわけではないけど、会えばガッツリ仕事の話をする友人がいます。

彼がどの程度、私の仕事を分かっているのか?は分かりませんが笑

少なくとも私は、彼がどんな仕事をしているのか?は分かっているつもりです。

昨日、そんな彼に

「これ、おもろいんじゃない?」

という連絡をしました。

(仕事にかかわることなので、ボカシております)

すると、彼から、

「ちょうど、社内で似たような動きが出ている」

という返事がありました。

それを見た私は調子乗って、「俺、センスいいな笑」と返事したのですが、彼から、

「いや、ほんと良いセンス。ネタ探しの方法を教えて欲しい笑笑」

と返ってきました。

友人とはいえ、プロフェッショナルからこんなこと言われることなんて想定もしてなかったので、

たまたまだよ笑

とだけ、返事をしました。

つまり、分からなかったから、「たまたま」と答えて逃げたってことなのですが。

でも、私が話したことが、実際に彼の社内でも出ていることは、今回が初めてではなく、数か月前にもあったんです。

なので、「たまたま」と返事をしたものの、一瞬考え、

「言葉にできるようにトライしてみます」

と、追加で一行加えました。

まあ大して真剣に考えるつもりもなかったのですが笑

ところが、

言葉の力、恐るべし。

これが、頭の中でずっと引っかかってるんですよね。

事あるごとに、浮かんでくるのです。

何が良いと思って、あいつに連絡したのかって?

恐らく、いや確実に、あの時、

たまたま

で終わらせてしまっていたとしたら、こんなことが起こることはなかったと思います。

でも、トライしてみますと言ってしまったから笑

頭の片隅で、この問いが居座り、メモリーをちょいちょい消費しているんですよね。

すると、いくつかキーワードが浮かんでくるものなんです、不思議なものなのですが。

夜、ベッドで本を読んでいると、

あれがそうなんじゃないか?

これもそうなんじゃないか?

もしかしたら、こういうこともあるかもな?

って。

とりあえず、それを書き出してみました。(まだ彼には見せられませんが)

これを放置して、また更なる抽出作業をすることになると思います。

そして、一定程度抽出が終わったら、その言葉をブラッシュアップをする=言葉選びをする

というプロセスに移行します。

言葉選びをするフェーズにおいては、語彙量も大事になりますので、インプットはやはり大事です。

それと並行して、なぜ、そう思ったのか?その言葉を選んだのか?

を振り返る。

再び、言葉を修正する。

これを繰り返すことが、言葉にするということだと思います。

 

例えば、昨日のブログにも書きましたが、映画『竜とそばかすの姫』を見て、面白いと思う人も、面白くないと思う人もいるでしょう。

受け止め方は人それぞれですから、良いor悪いということはありません。

でも、それを面白いとか、面白くないという言葉で片付けるのではなく、

なぜそう思ったのか?

を考えてみる。言葉にしようとしてみる。

もっと言えば、面白いという形容詞に逃げるのではなく、その理由をもう一段深く探ってみる。

これが言葉にする力に繋がるのだと思うのです。

 

私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する

という、哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉がありますが、

仮に予期せぬ質問を投げかけられたとしても、

わからない

とという言葉に逃げるのではなく、それはなぜか?と自らに問うてみる。それを言葉にしてみる。
(ただし、自分の専門ではないことを問われた場合は、「わからない」と答えるのは大事)

日常的にこういうことを繰り返しことが、言葉の限界を拡げ、世界を拡げることに繋がるのです。
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【今日のうねり】
!!や?が点灯した時に、たまたま、偶然、わからないと言った、言葉で、片付けない。逃げない。
その理由はなぜか?を自らに問いてみる。言葉にしてみる。
それを日常的に繰り返すことが、言葉にする力を鍛え、考える力に繋がるのだ。
言葉の限界が拡がれば、自分の世界も拡がるのだ。