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令和3年9月1日 今日もクルクル通信1109号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨晩は、スタミナ苑のマコさんと奥様、弟子の木原さん(大分県で人気沸騰中の焼肉店を経営者)と食事をご一緒させて頂きました。
この会は、木原さんが東京に帰ってくるたびに開催されるので、もはや数ヶ月の1回の定例の美食イベントとなっております。
言うまでもなく、ご一緒させて頂いたお店は美味しかったのですが、今回はその話ではなく、まこさんと木原さんのこんな会話から始めたいと思います。
「まこさん、ミノの昆布締め*って難しいんすか?」(*スタミナ苑のメニュー)
「いやー、そんなことない。やってみたらいいじゃねえか。」
「はい、是非やりたいです。味付けってどうやっているんですか?」
「いいか、ちゃんとメモをしておけよ。
ミノは届いているものでよいから、昆布はあそこのアレな、あいつに言えばわかるから。
これぐらいの器に、
塩を×グラム
〇〇を×グラム
〇〇を×グラム
〇〇を×グラム
△△を×グラム
いいな、これがベースだ。あとは、寝かせる期間と合わせて、好みでやってみな。俺は〇日寝かせている」
「はい、分かりました。ありがとうございます!」
「お前じゃなきゃ、こんなこと、教えないよ」
それで思ったんですよ。
レシピってやっぱりすごいなって。
うまい料理があったとして、それを再現性高く作れるようにするものが、レシピ。
なぜ、レシピがあれば、再現性が高いのか?
レシピが言語で記述されているから
です。当たり前ですが。
だから、それを読んだ人が同じように再現できるんですよね。
レシピという話で言えば、次号の東京カレンダーだかdancyuに、これまたスタミナ苑の名物の一つである、生野菜(サラダ)のレシピが公開されているそうです。
耳を疑いましたよ。
だって、これ、めちゃ美味いんですもん。
高校生の時に初めて食べた時、母が、「一体、これどうやって作ってるんですか?」って聞いたほどでしたからね。
そして、その回答が、
「いや、自宅で作るには原材料費はかかってかかりすぎて無理ですよ。食べに来た方が良いですよ。」
だったことも今でもはっきりと覚えています。
そのレシピ公開について、まこさんに聞いてみると、
「いやー、公開したって問題ないよ。知ったって、同じように作れるもんじゃねーから。」
って言っていました。
この回答は実に、興味深いものでした。
レシピは、再現性高く、同じものを作れるようにするために、言葉で記述されたもの
ですが、それがあったとしても再現できない世界もあるってことなんですからね。
その差って、どこから生まれるんでしょうか。
単なる想像ですが、おそらく、その日の天候とか、食材のコンディションとか、お客様の性別とか、好みなどから微調整する辺りにあるのでしょう。
そして、その言語にできていない部分に、匠の技があるのかもしれません。
では、その技は決して会得することが出来ないことなのでしょうか?
言い換えれば、その差を埋めることは出来ないのでしょうか?
できる。
いわゆる、「カバン持ち」的な学び方をすればできるのではないか?って思うのです。
すなわち、その師匠のそばにずっといて、一挙手一投足を見る。同じ空気を吸う。体全体でその師匠のすべてを感じ取る。
そうした時間を過ごす中で、レシピのさらに先が身体知として、身体に染み込んでいき、ある時から、同じことが出来るようになるのではないか?
と思うのです。
楠木健先生の言葉を借りれば、カバン持ちによって、「センスを身に着ける」ということ。
そのセンスを非言語の知識と言うのかもしれません。
学びのステップについて、改めて考えてみると、
まずは、言語で記述されたレシピを学ぶ。
それを基本としながら、さらに、その先を身につけたいと願うのであれば、そのレシピ開発者のカバン持ちをする。
直接のカバン持ちが叶わなかったとしても、それに準ずる行為をし、センスを身に着ける。
ということなのかもしれません。
もちろん、これは、料理人の世界ではなく、ビジネスパーソンの世界でも同じです。
でも、仮にレシピをビジネス書で学ぶことが出来たとしても、リモートワークの影響で、先輩につきっきりで、カバン持ち的な学びは現実的ではなくなりつつあります。
だとしたら、より一層、レシピを作る=言語にする力が重要になってきます。
この力が重要になるのは、レシピを作る側も学ぶ側のどちらも同じでしょう。
ということで、言語にする力を鍛えるべく、今日も書き続けていくのです。
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【今日のうねり】
学びのステップは、
言語で学び、次に非言語の学び=センスを身に着ける。
ということだろう。
ビジネスの世界では、リモートワークの影響もあり、センスを身に着けるのが困難になっている。かばん持ちがしにくくなってきているから。
だとすれば、少なくとも、言語にする力を身に着けていなかったら始まらない。
今まで以上に、これが重要になる世界に突入してきているのだ。
だからこそ、毎日書き、言語にする力を磨き続けるのだ。