美しい蕎麦の食べ型

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令和3年9月15日  今日もクルクル通信1123号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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昨日は嬉しいことがありました。

あのそば屋の名店、『神田まつや』で、

「あなた、美味しそうに蕎麦を食べるわね」

というお褒めの言葉を頂戴したんです。

スゴくないですか??笑

余談ですが、『神田まつや』さん、緊急事態宣言がなければ、土日は昼から晩まで、行列が途絶えることはほぼないほどの人気店です。

多くのお客さんは、昼から、サッポロの赤星や日本酒を飲んでいます。蕎麦みそ、焼き鳥、板わさ、などなど、蕎麦屋ならではのおつまみとともに。

私は、飲んだことはなく、いつもそれを眺めているだけですが。

それはさておき。思わずその仲居さんに、

「いや、めちゃくちゃ嬉しいです!僕、学生の時、そば屋でバイトしてたんですよ。それくらい、お蕎麦が好きで」

と言うと、

「あら、そうだったの!通りで。そのまま、そば打ちになればよかったのに??」

って、職人さんの方を見ながら、真顔で言われました笑

確かに、バイトをしている時も、

「あなた、若旦那?社長の息子?」とか「そば屋目指しているの??」って、頻繁に聞かれていました。

私に、そんな雰囲気があるのでしょうか笑

さて、蕎麦を美味しそうに食べるという中には、

蕎麦を美しい形で食べる

ということが含まれていると勝手に解釈しています。

そんなもん、あるのかよ!?

って、ツッコミを頂戴しそうですが、「ある」と私は信じています。

その形(=型)を教えてくれたのはバイトしていた蕎麦屋の社長でも、常連さんでもなく、咄家でした。

当時、けっこう寄席にいっていたのですが、そこで見た『時そば』。

咄家が蕎麦を手繰る姿を見て「こりゃ、かっこいい」って思ったのが、美しい蕎麦の食べ型研究の始まりでした笑

『時そば』というネタは、夜の屋台の蕎麦屋で、かけそば一杯(十六文)を一文すくねる男が現れ、それを見た別の男が自分も真似をしようとする。ところが…という滑稽話です。

見よう見まねで始めた、そばの美しい食べ型ですが、そのポイントは大きく三つあると思っています。

器の持ち方

そばの手繰り方

啜り方(音の出し方)

この三つです笑

まず、器も抱え方ですが、「もりそば」(冷やし系)ならそばちょこ、「かけそば」(温かいお蕎麦系)なら、器を利き手とは逆の手で、胸筋上部くらいまで持ち上げます。

(箸の持ち方が正しい正しいことは、前提とさせて頂きます)

背筋を伸ばし、器を持つ手の脇はやや締め気味、箸を持つ手の脇はちょい開き気味に、器と箸を持つと良いです。

続いて、そばの手繰り方ですが、「もりそば」であれば、せいろから、やや少なめに箸で取り、そばつゆに蕎麦の下半分ぐらいを2~3回付けます。

つけっぱなしではなく、そばを上下に動かします。蕎麦をそばつゆに全部浸してしまうのは、かっこ悪いこと、ハンパなしです。

そばつゆの濃さに合わせて、若干蕎麦をつける範囲は調整します。

(例えば、更科系は、ちょっとそばつゆが甘めですし、藪蕎麦系は、からめです)

蕎麦を浸し終わったら、そこから一気に啜り込みます。

基本的には、物を食べるときは、「クチャクチャ音を出してはならない」が原則ですが、そばは、いかに「ズルズルっ」って音を立てることができるのか?

これが、美しい食べ型かどうか?の決め手になります。

具体的な音の出し方に関しては、人間国宝にもなった五代目「柳家小さん」の『時そば』がおすすめです。

そもそも、美しい蕎麦の食べ方を考えるようになったきっかけは、彼の『時そば』をCDで聞いたことがきっかけでした笑

現役の咄家で言えば、小さん師匠の孫にあたる、柳家花緑あたりが良いかもしれません。まあ、柳家一門は皆さん、上手いですが。

ここに書いたことが正しいのか?正しくないのか?、ぶっちゃけわかりません。

これは、単に私が、これは美味そうだと思ったものを、観察して、自らやっているだけのことですから。

でも、名店の仲居さんからお褒めの言葉を頂戴したのですから、いい線いっているのではないか?とも思っていますが笑

 

コルクの佐渡島庸平さんの新刊『観察力を鍛える』という書籍があります。

(佐渡島さんは、いつかお目にかかりたい人の一人です!)

ここで書かれていた、観察力の鍛え方は、次の4ステップです。

①そもそも、世の中に疑問(問い)を持つ。例えば、〇〇ってどういうことなのか?

②そして、それに対する仮説を持つ。それって、〇〇なのではないか?

③実際に対象に向き合う。見る。

④自分の仮説と、現実の違いを把握し、その違いをチューニングする。

この疑問⇒仮説⇒観察⇒チューニングというサイクルを繰り返す

というものです。

当時の私は、間違いなく、ここで書かれているようなことは全くやっていません。

単純に咄家の蕎麦を食べる姿がかっこいいって思って、そのモノマネをしていただけですからね笑

とはいえ、「良い」と思った、お手本に出会ったら、それをマネする。

再び、お手本を見る。その違いを自覚する。

その違いは何か?を自分なりに言葉にする。その違いをチューニングすべく、またやってみる。

それを繰り返していくことが、お手本に近づくステップなのではないか?って、今では思います。

別の言い方をすれば、これが「型」の身に着け方なんだとも思います。

そして、これは、食べ方も仕事の仕方も同じなんですよね。

書いていたら、また蕎麦が食べたくなりました。

同じく食べたくなった方がいらっしゃいましたら、情勢が落ち着いたらぜひ行きましょう笑
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【今日のうねり】
物事の習得のステップは、「良い」と思った、お手本に出会ったら、それをマネする。再び、お手本を見る。その違いを自覚する。その違いは何か?を自分なりに言葉にする。その違いをチューニングすべく、またやってみる。
これを繰り返していくことだろう。
佐渡島さんの言葉で言えば、観察力の鍛え方と同じだ。
そのモノマネには、言葉にすることも必要になる。型の身に着けるには、言葉にする力が必須なのだ。