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令和3年9月22日 今日もクルクル通信1130号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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「あっ、すいません!!それ、どうやってやったんですか?」
「あっ、これですか、[Windows]+[Shift]+[S]ですよ。」
「へぇー、それが、画面切り取りのショートカットなんすね。知らなかったです、ありがとうございます!」
これ、昨日のお客様と打ち合わせでの会話です。彼は、打ち合わせをしながらパワーポイント資料を作り込んでいたんですが、
流れるように画面切り取りを行ったので、思わずこんな質問をしてしまいました。
まあパワーポイントはほぼ使わない、というか使えない私ですが、時折、スクリーンショットや画面のキャプチャーはやるので、「おぉ!!」って思ったのです笑
でも、やる時はいつも、
マウスで、windowsボタンを押して、
マウスで、検索窓にカーソルを合わせて、
「Snipping Tool」と入力して、
マウスで、それをクリックして、ツールを起動していました。
こうやって書き出せば、確かに動作も多いし、面倒な気がしますが、それが当たり前だと思っていたので、さほど疑問を持たずにやっていました。
ところが、彼はマウスを触ることもなく、ボタンを3つ同時に押すだけで、「Snipping Tool」を起動してしまったんです。
文字通りショートカットです。
これは圧倒的に便利ですよね。
では、過去に1度も、画面の切り取りをやったことがない人が、彼のショートカットを見た場合、神業?って思うか?というと、そんなことはないでしょう。
自分でそれをやったことのないのだから、そのスゴさも有難みもわからない。なので、質問しようなんて気にもならないはずです。
何度も、手間をかけたことがある人だけが、ショートカットを目撃した時に、「おぉ!」って思うんですよね。
やった人だけが、その価値に気づくことができるんです。
逆に言えば、自分で行動しなければ、その価値に気づきようもないのです。
仕事であろうが、プライベートなことであろうが、「ショートカット」に気づくためには、まずは自分で一定量の行動してみることが不可欠です。
例えば、初めてプロジェクトを任されたとしましょう。それが大きいのか?小さいのか?はさほど関係がありません。
そのプロジェクトのゴールは何なのか?
どうやったらそれが達成できるのか?
やったことがないんだから、最初から、ショートカットキーのような、最短で確実な方法論を見出すことなんでできないですよね。
なので、まずは、「こうやったらいいんじゃないか?」って、自分で考えて、実際に行動をしてみる。
あるいは、プロジェクトが大きくて、関係者が多いのであれば、自分の行動計画について、先輩・上司に意見を仰いでみる。
実際に、行動するから、面倒なことに直面したり、できなかったりもする。
だから、
どうしたらできるのか?
もっと、こうすれば良いんじゃないか?
ってアイディアが浮かぶんですよね。そして、実際にそれを行動に反映してみる。
そうして、自分なりに、そこそこの成果出るやり方が身に付いていくんです。
そんな時に、自分と同じことなのに、めちゃ簡単にやっていたり、全然違うやり方で、成果を上げている人を目撃するから、
「えぇー!」ってビビットに反応する。教えてくれ!ってなるんです。
あるいは、先輩・上司から、
そもそもやりたいことってこれなんだよね?
なんで、こんなことやっているの?
こうやった方がラクじゃね?だって〇〇じゃん!
みたいな、アドバイスをもらうことができて、「先に言ってよ~」(SanSan風)って気分になるんです。
でも、それがアドバイスってことに気づくことができるのも、それがショートカットに見えるのも、
全て自分でやったからなんですよね。
だとすれば、一番ダメなのは、頭だけで、「あーでもない、こーでもない」ってことを考えるばかりで、行動をしない。その場で立ち止まってしまうことですよね。
沈思黙考、ダメ絶対!
実際に行動するから、
それが良いのか?悪いのか?面倒なのか?ってことを考えるようになるし、
もっとラクする方法はないのか?
という問いが生まれるようになります。
そんな問いが生まれるのは、面倒なことを山ほどやった人だけ。
とは言いながら、ショートカットキーどころか、
「そもそも、どうしたら、PCを携帯しないで済むのか?」
なんて問いを立てていたりもしています笑
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【今日のうねり】
ショートカットキーを発見できるのは、散々面倒な作業をやってきた人だけだ。
それをやらなければ、そのショートカットキーを求めることも、価値に気づくこともできないのだから。
行動するから多くのことが分かるようになる。
一番ダメなのは、ちゃぶ台の前で沈思黙考していること。
沈思黙考、ダメ、絶対なのだ。